東京古書組合

2016年の古書の日。ある分野の専門を持ち仕事をしている古本屋三人が集まってのトークが行われた。扱う本が違えば言うことも違う。そこから「専門店」の楽しさと苦労が見えてきた。

(司会:百年・樽本)

 

狭くしてココだけを見ているとわかる事

 

小野■神保町で「ビブリオ」という古書店をやっております、小野祥之と申します。スポーツを専門にしていまして、特に野球の本屋さんとして名を知られております。
野球と言うと、本だけではなくて、例えば選手が使ったユニフォームだとかバットやグローブ、それからサインもの、サイン色紙やサインボールといったものを中心に扱っており、半分は本屋、もう半分を道具屋といった感じでやっております。
元々、玉英堂書店という神保町のお店で七年間修行をしていました。そこでは近代作家の肉筆物という専門分野があり、肉筆物、書簡や手紙といったものに対して、目がいくようになり、スポーツの専門分野としてやっていくことになりました。

 

中村■港や書店の中村と申します。私は文京区大塚で建築史・土木史に関する近代史料のカタログ販売をしております。店もホームページもございません。カタログのみの販売でございます。96年の1月に独立開業しましたので今年でちょうど開業二十年となります。

 

池田■泰成堂書店の池田と申します。よろしくお願いします。私は武蔵野市境、JR武蔵境駅のそばで事務所を持って、専門は医学の歴史、医学史と近世近代資料というものを何でもやっていまして、まぁ趣味的なものはやらないですが、わりと資料的なものは買うようにしています。神田の秦川堂書店さんで五年修行をして独立して、最初は神田の駿河台に事務所があったんですけど、自宅のある武蔵境に引っ越して、というとこですかね。

 

樽本■港やさんは、どちらで修行をしたのでしょうか?

 

中村■私は、神田の湘南堂書店さんというお店で七年間修行をしました。

 

樽本■そこでどういった分野を担当されていたのですか?

 

中村■湘南堂さんは何でも屋さんでしたね。店では法律関係からアイドル写真集まで、なんでもやっていました。それからデパート展、古書展、それにカタログも出していましたし、仕入れ、出張買入れもしていたので、本当に色んな事を経験しました。

 

樽本■それぞれ専門分野を話していただきましたが、皆さんどうしてその専門分野に入っていったのですか?小野さんは野球の本に?

 

小野■野球の本は最初から扱っているんですけど、その前に代々木で独立した1998年は学習参考書の専門店をやっていたんです。当時ネットがまだ主流ではなくて「これからインターネットが来るぞ!」という時代でした。そこで「本当に売れるのか、売れないのか」が気になって、独立する前にホームページを立ち上げて、昼休みに神保町の街をぐるぐるまわっていろんな本を買っていました。昔、文省堂書店に四冊で百円というコーナーがあって、みんな熱心に見てましたよね。あの時はまだ廃品回収の車が来ていて、文省堂さんの前に本を置いていくんですよ。で、その本を文省堂さんがその棚にガンガン入れていくと、またみんな集まっていって。まぁ四冊で百円ですから、業者もいっぱいくるわけですよ。レジの台にたくさん積んでも千円ぐらいで買えたりするので、それを仕入れにして、ネットで一冊千円で売るわけですよ。まだ当時はネットで本を売るなんて事は、ほぼ誰もやっていない時代でしたから、それをやったら結構売れまして、月二十万円ぐらい稼げたんですよ。「これはいいな」と思って独立の機会を探っていました。でもそれだけじゃ食えない。玉英堂で店番をしていた頃は、毎年春になると不要になった学生さんから学習参考書を買っていました。それに数百円の値段をつけて表に置いておくとぼちぼち売れてゆく、これに気付いたんです。「これって駿台予備校か代ゼミの近くでやったら商売になるんじゃないかな」って思いました。でも高い物件で家賃を五十万、百万払うのは無理だろう。で、かみさんに「代々木か駿河台のあたりで、家賃月十万円で済むところを探してきてくれ」って頼んだら七,五坪で九万円位の物件を代ゼミの近くで見つけてきてくれました。「よしこれだ!」って思って代々木の物件を借りて、玉英堂の店長に「すぐ辞めます」と、言いに行ったのが独立のきっかけだったんです。ですから、「最初から何かの専門を作って耳目を引けば儲かるんじゃないか」っていう発想がものすごくありました。うちの業界にはいろんな本屋さんがいますが、いろんな分野を扱ってそれぞれの売れ筋を上手に並べながら、売っていくというやり方のほうが、僕にはすごく理解出来るんです。

 

樽本■商売をするための専門分野、っていう感じですかね。

 

小野■そうですね。やっぱり「何を売るか」というアタマの作りにもよると思うんですが、僕はいろんなものを見られない。でも狭くしてココだけを見ているとわかる事って有ると思います。狭くしていった方が見えやすくて、そのほうが僕としてはすごく商売がやりやすいな、と思いますね。

 

樽本■中村さんはいろんな物を扱うお店で働いていましたけど、どうしてそこに至ったんですか。

 

中村■僕は店員時代に古書会館で行われている学術書専門の市場(東京資料会)の手伝いをさせてもらっていたんです。そこでいろんなジャンルの専門店の本屋さんの仕事に接する機会があったんですけど、その職人的なお仕事ぶりですとか、鬼のような買いっぷりですね、それを見て、私も当時は二十代前半の頃でしたから、単純に憧れたわけですね。それから数年たって具体的に独立・開業の準備を始めて、本を集めなきゃいけない、となった時、まだ二十代半ばでしたから、お金がないんですね。ですから、押し並べていろんなジャンルの本を集めるのは物理的に無理だったわけです、金銭的にね。だから数年前に憧れた、一つのジャンルに、限られた資本を一点集中するっていう、この方法はその時の僕にはすごく理にかなっているなと思って、あらためて何かの専門店になろうと決意したわけですね。
じゃあ、何をするか、と。二十五年くらい前の話なんですけど、今と比べても、あらゆるジャンルに強力な専門店がいらっしゃったんですよ。だから二十代半ばの若造なんかがどんなにがんばっても本なんか買えなかった。専門店になるためにはある程度のグロスで在庫を持たなければいけませんから、そのジャンルのものを買い続けられなきゃ意味がないんです。だけど、例えば映画や音楽とか民俗とか郷土とか僕にも好きなジャンルはありましたけど、ほんとに事故のようにたまたま買えることはあっても買い続けられないんですね、専門店のように、常連のように。

 

樽本■強い人は強いですからね。

 

中村■そう。だからそんな中で少しずつ試行錯誤している内に、少しずつ買えるようになって、在庫が集まり始めたのは戦前期の建築土木書と特殊な資料ですね、たまたまです。それらを「買い続けられる」と思ったんですね。

 

樽本■ライバルはいなかったんですか?

 

中村■ライバルはいたんですけど、なんですかね、専門がいなかったのかな。やっぱり「専門」って名乗った方が勝ちなんですよ、モチベーションの問題だから。そう言う試行錯誤をしているうちに、いつの間にか一冊目録が出るくらいの在庫が集まったので、96年に独立をして第一号の目録をすぐ出した、というのがきっかけです。

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