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架空の寺山修司全集

玉英堂書店 斎藤 良太

 今日もいつものように市場へ行く。何を見たらいいのか、どこに注目したらいいのかわからず気持ちだけが焦っていた。そんな半年ほど前に、私が最もお世話になっている大先輩の何気ない一言がこの作家との出会いであった。『寺山の全集は作れないだろうなぁ…』本当に他愛もない話の中の一言であり、人によっては聞き流してしまうかもしれない。しかし私にとっては印象に残る言葉であった。これだけありとあらゆる作家の全集が刊行されている現在でも、寺山の全集は作れないという。いや、作ってほしくないとでも言いたげであったように思う。

 『寺山修司』詩人、歌人、劇作家。青森県の生まれ。高校時代に俳句雑誌「牧羊神」を創刊、その後「チェホフ祭」で「短歌研究」新人賞受賞、歌壇は模倣問題で騒然となる。19歳のときにネフローゼを患い絶対安静の日々がつづく。生死をさまよう姿を見て、これほどまでに才能のある作家の作品が、世の中から忘れ去られてしまうのを懸念した中井英夫の尽力により、21歳のとき第一作品集「われに五月を」が出版される。3年間に及ぶ闘病生活を克服した寺山の創作意欲は堰を切ったようにジャンルをこえてあふれだし、ラジオ・テレビ・映画といったマス・メディアへと広がっていく。31歳のときには横尾忠則らと演劇実験室「天井桟敷」を設立、その方向性は街一帯を使って繰り広げる「市街劇」へと移り、前衛芸術活動を展開する。

 これほどまで多岐にわたって才能を発揮した作家は数少ない。寺山の作品は内容はもちろん、カバーの装幀・挿絵・字体・判型そして時には紙の色にまでこだわり、すべてを網羅してはじめて一つの作品となっている。どれかひとつが欠けていたら、それは寺山の作品ではなくなってしまうであろう。大先輩の一言、何が言いたかったのかわかったような気がした。また、特徴的なものに直筆原稿がある。他の作家に比べ極端に書き直しが少ない。

 時には雑誌の切抜きを貼ったり、色鉛筆を使っているものもある。単なる下書き的な意味合いではなく、原稿も一つの作品として考えていたように感じられる。

 幸運なことに、第一歌集「空には本」を手にすることができた。しかも両親宛の署名入である。この作品は寺山が退院する直前に刊行されたもので、病床での寺山の写真が扉になっている。どのような気持ちでこの本を両親に捧げたのであろうか。

 『時には母のない子のように だまって海を見つめていたい』今日も店には色紙が飾ってある。寺山の詩は本当に心が和むものが多い。それに対して評論は理解しがたく読み進むのすら困難である。しかしふと気づくと、理解しようとまた読み返している。いつのまにか「寺山ワールド」に足を踏み入れているのかもしれない。寺山は47歳でこの世を去るとき、「私が死んでも墓は建ててほしくない。私の墓は私の言葉であれば充分」と書き残したという。近いうちに必ず訪れてみたい。青森県にある「寺山修司記念館」へ。

東京古書組合発行「古書月報」より転載
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