日本の古本屋


古本屋のエッセー
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利に優る理を求めて

古書月報−パラノイア文献学より−
アート文庫 丸山 将憲

見開きページの口絵をめくった途端に、当時の読者の少年少女を、スペースオペラやアドベンチャー、スリラーサスペンスの世界に引き込んでいったであろうパノラマ。小松崎茂、武部本一郎らの描くカラフルな世界には読ませる機械としての魔力が溢れている。
 ジュニア読物と呼ばれる現在の当店の主力ラインの一番の魅力は、おそらくこのあたりの禍々しさが漂う雰囲気であるように思われる。
 マンガではないが、かといって通常の小説とも違うこれらの作品群を手にとると、私は幼いころ母方の実家の九州は小倉で、祖母に連れていってもらったサーカスを思い出す。
それはおそらく大人から見れば荒唐無稽に見える作業に、悪くいえば子供をだますために必死になって心血をそそいでいるという共通点のせいであるような気がする。

現在のように、CGやVFXが満載の映画や、バーチャルリアリティという言葉がぴったりとはまるコンピュータゲームがまだ無かった時代に、文章の世界を楽しむことを、インプリンティングすると同時に、豊かなイマジネーションを培い、数多くのパラノイド達を生み出すきっかけを、これらの作品群がその役を担っていたように思われる。

 60年代までは、週刊の少年漫画雑誌にも、絵物語という形で存在していたこれらの作品群は、私が少年時代を過ごした80年代には、ほとんどといってよいほど、姿を消していった。で、あった為に、家業が古本屋な訳でもなく、古本にもまったく興味の無かった私が、ジュニア読物という不思議な本達と初めて出会ったのは、古本屋になって四年ほどたったころだった。
 当時の私は、見よう見真似で身近な先輩達の扱っている美術書や、探偵小説を手探りで売り買いしながら、なにか独自の商品を、扱えないものかと思っていたところ、南部支部のフリ市でガキ本と呼ばれていた、買い手がほとんどつかなかった児童書に目がいくようになった。
ほぼ毎週といっていいほど出品され、量もかなりのものがある。
なんとかこれを売れないものかと買い集め続けるうちになかには、高値で売れる本が出てくるようになっていった。
ご同業の先輩達には、

「お前こんなものに、そんな値段つけて大丈夫か?」

「好きだねぇ、でも売れんのか?」

等々と哀れみのまじったご心配をいただいていた。
正直なところ、売れゆきという点ではそれほどたいした金額ではなかったが、ずっとこの状態が続いてくれればと思っていたが、残念ながらそうはいかない。
徐々に入札市などにも出品されるようになり、競争相手も増えてきて、ついには、大市にまで出品されるようになってきた。そうして、商品としては魅力が大幅にダウンしてしまったこれらの本達だが、市場で見かける度につい入札してしまう。
次の奇貨をまた、南部支部のフリ市の山の中に見出せるまで、できれば早く手を切りたいと思いつつ。

東京古書組合発行「古書月報」より転載
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