『ダンセイニ、その魅力』(前編)

小野塚 力

 幻想作家、ロード・ダンセイニ。ある人にとっては「エルフランドの王女」「ぺガーナの神々」に代表されるような幻視者としての側面が重要視され、ラヴクラフトを魅了し、トールキンやル=グインらへの影響が顕著なファンタジーの祖の一人として意識されている。また、翻訳家であり歌人でもあった片山広子に積極的に紹介され、菊池寛らに大きな影響を与えた戯曲作家としてもしられている。いずれにしても、作家ダンセイニをめぐる評価軸は多岐にわたっている。
 
 日本におけるダンセイニ受容をふりかえると大きく分けて二期にわけることができよう。ひとつは、大正から昭和初期にかけてのケルト文藝復興運動と関連した形での戯曲作家としての受容、そして戦後のファンタジーおよびミステリーの書き手としての受容である。戯曲作家としてのダンセイニ受容を語るうえではずせないのが、前述した、翻訳家松村みね子こと片山広子である。歌人としての評価も高い片山広子であるが、芥川龍之介ファンならば、彼女が晩年の芥川から「越し人」とよばれプラトニックな恋愛関係にあったことを知る人は多いだろう。芥川からもその才媛ぶりを認められた片山広子であるが、大正から昭和のはじめにかけて、松村みね子の筆名で、シング、ショオ、イエイツ、ダンセイニらのアイルランド文学作品を翻訳し紹介している。(なお、ダンセイニ戯曲については現在、沖積社から「ダンセイニ戯曲全集」が刊行され、比較的容易に手にとることができる。)片山の訳は平易かつ格調が高い理想的な文章で貫かれている。他方、「かなしき女王」の訳では雅文体に近い韻律の美しさを優先させた文体で翻訳をおこなっている。このあたり、片山広子という女性の非凡さを如実に感じさせる部分である。 

 片山のこうした貴重な訳業から提示される戯曲作家ダンセイニの作品世界は、シンプルな構成の中から提示されるダイナミズム、一貫してながれる緩やかな虚無感、どこか神秘的なものをかんじさせる東洋的な舞台立ての多さなどがその特徴といえるだろう。ダンセイニをはじめとするアイルランド文学の影響は、芥川や菊池寛、久米正雄といった第四次新思潮派にも認めることができる。特に菊池寛においては明白だ。卒業論文がアイルランド戯曲についてであり、また、ダンセイニとの関係でいえば、片山の「ダンセイニ戯曲全集」の序文を執筆し、自身の戯曲「閻魔堂」においてもダンセイニ「山の神々」からの影響が指摘されている。久米正雄も自作「地蔵教由来」について、ダンセイニ「山の神々」を参考にしたという久米自身の証言が報告されていたのを読んだ記憶がある。こうした事象から浮かび上がる大正から昭和初期にかけてのダンセイニ観は、劇作家としてのイメージであり、現在流布しているような幻想作家としての側面は殆どない。むしろ現在ダンセイニを代表する初期短編世界の魅力について取り上げた文章はこの時代皆無といってよいだろう。ダンセイニの幻想性を称揚する見方は、戦後しばらくをまたねばならない。

 日本で戯曲作家として受容されたダンセイニであるが、戦争をはさんでしばらく忘却状態が続く。そして、戦後のダンセイニ受容を語るうえで決して外すことのできない人物が現れる。作家、荒俣宏である。自身の幅広い活動の初期において精力的に幻想小説を紹介しつづけた荒俣宏であるが、ことダンセイニへの惚れこみようは半端ではなく、「思潮」におけるダンセイニの幻想小説の紹介の記事とダンセイニ論は大変な熱気に包まれている。荒俣宏のこのダンセイニ論は、作家を「幻視者」という規定のもとに、その〈幻想美〉を称揚するものとなっている。事実、荒俣宏のダンセイニ紹介は、そうした路線を決して裏切るものではなかった。自身が精力的に構築した「幻視者ダンセイニ」のイメージをまもるかのように。このファンタジーの祖、幻視者という典型的なダンセイニ像は今も多くの鑑賞者に印象つけられているのではないだろうか。「二瓶のソース」のような軽妙なミステリーの書き手という評価もあるだろうが、ファンタジー関連の評価の方が優勢を占めているだろう。しかし、河出書房から刊行されたダンセイニの初期短編集の全訳は、これまでの幻視者ダンセイニという固定観念を崩しかねないものをはらんでいる。こうした短編集に収録された多彩な短編群から浮かび上がる作家としてのダンセイニは、わりあいに様々な作風に対応する短編小説家としての顔をみせている。
 
(次月 後編に続く)


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