POEのACROSTICS 四章(承前)
先づ、An Enigmaの本文を験すると、

平井 功 

An Enigma.
“Seldom we find,” says Solomon Don Dunce,(1)
Half an idea(2) in the profoundest(3) sonnet.
Through all the flimsy things we see at once
As easily as though the Naples bonnet(4)−
Trash of all trash!−how can a lady don it?(5)
Yet heavier far than your Petraschan stuff−(6)
Owl-downy(7) nonsence that the faintest puff(8)
Teirls into(9) trunk-paper(10) the while you con it.””
And,veritably,Sol(11) is right enough.
The general tuckermanities(12) are arrant Bubbles−ephemeral
and so transparent(13)−
But this is,now,−you may depend upon it −
Stable,opaque,(14) immortal−all by dint
Of the dear names that lie concealed within’t.

[大意] ソロモン・ドン・ダンス謂ふならく、「この意味深き小曲に含む意の、その半だに見出づることは稀。奈翕里ぶりなる女帽をすかし見るごと、なべてこの皮相のものうちすかし、いと易く直に識るは屑―の屑、駄作の駄作なりてふことよ!―如何にして女人のこれを豪奢ることを得べき!しかも猶、君がペトラルカぶりの藝語に比しては杳に重し―いとゞ些末の提灯持も、君がとつくりと思案すれば、いつの間にやらほんものゝまじめな文書となりすます、その賢しらの莫迦らしさ。」と。げにやげに、ソルが言葉は尤もぞかし。およそタカマンの誌すところは、まぎれもあらず水のあぶくよ―蜉蝣の命短く、げに見え透ける―それとはかはりこの一篇は―大丈夫金の脇差−確乎不抜ぞ、幽晦ぞ、不滅不朽ぞ―唯に唯、この詩のうちに秘めたる、かのなつかしき御名ゆゑに。

[注]
(1)Solomonは旧約に現れるイスラエルの賢王、賢者の中の賢者と称される。Donは西班牙の敬称、殊にKnightの称号で英語のSirにあたる。此處ではされにverbの「著飾る」と云ふ意味を加へたもの。Dunceはcommonnounの「低能」で、Popeの有名な「愚人歌」Dunciadは即ちDunceの歌の意味である。Solomon Don Dunceなどゝ云ふ人物はPoeの勝手に作りあげた名前で、出鱈目である。だがon,on,unと重ねた響の耳触りは悪くない。Poeの言葉の響に対する敏感さは、こんなふざけきつた戯作詩にも覗はれる。勿論こんな場合では、響は上の空の響で畢つて何等内心深く滲み入る所はないが。それに、彼が出鱈目な駄洒落でproper nonu を捏造する癖は、彼が譏刺的小篇の傑作”The Devil in the Belfry”(森鴎外は「十三時」と訳した)にも見えて、その地名Vondervotteimittissは即ちWonder-what-time-it-isに外ならない。(鴎外訳では「スピイスブルグ」となつてゐて全然違つてゐる。その他鴎外のPoe訳は、何か粗雑な独逸訳をtextにした重訳と見えて、大分原文とは誤脱が多い。)

(2)この場合のideaは観念とか心象とか云ふ高遠な意味ではない。単なる「思ひつき」乃至「意味」と云ふものに過ぎない。しかし、同時にPoeが、この言葉の興へる前者のやうな語感を充分に意識しながらこの語を用ゐたことは瞭かである。

(3)このprofoundestは、奥妙至極のと云ふ意味であるが、これとても前述のidea同様、詩想の複雑幽婉を斥すのではなく、単に「楽屋落」が多くてわかりにくいと云ふだけの話である。この場合にもPoeは前者と同様に。語の効果を意識して「こけ威し」を試みている。

(4)Naples(Napoli)のbonnetとは如何なるものか、之を詳にする由もないが、この詞句より推して、その鍔ごしに之をかぶつてゐる婦人の容貌を容易に伺ひ得るものに違ひない。猶このbonnetと第八行のconitとの、稍苦しい押韻は、Campbellの説によると(Campbell,op.cit.,.277)、James Russell Lowell(Poeの未見の知己であつたが、後不和となつて畢つた。詩家としてはさまで優秀ではないが、学識は到底Poeの比ではなく、米文学史上要人の一である。Poeとの面接は唯一回きりでつあた。)が1869年中の作でa jeu d’espritと傍注したsonnet”To Miss Norton”に同様の押韻を試みて、西班牙の詩伯Lope de Vegaの作”Un soneto me manda hacer Violante”云々の一篇より換骨奪胎したものと断つてあるさうである。これより推してbellは、Poe亦恐らくこのde Vegaの詩を心に描きながらこの押韻を試みたに違ひなく、LowellはまたこのPoe詩を知つてゐたことであらうと述べてゐる。筆者はこの両詩篇とも未見であるので何とも申しかねる。

(5)この詩のなかにはある夫人の名前が織り込んである。そこでその名前に著せる衣装にこの詩を見立てゝ、どうしてこんな襤褄(劣作)を貴婦人に著せられやうぞと、ちよつと謙遜して見せたのである。

(6)Petrach(Petrrca)風の、若しくはPetrachに就いての、stuffhはこの場合では駄文の意味。Francesco Petracaは第十四世紀の伊太利亞の詩宗、長編のepicなどの著作もあつたが、今日世に行はれてゐるのはそのsonnetである。[注(12)参照]。

(7)Owlは梟だが、この禽の妙にしかつめらしく、間の抜けた様子から、勿體ぶつた愚物をowlと呼ぶ。嚢に引いた”Dunciad”初版口絵の銅版にも、この梟が彫つてある。downyは抜け目なき、喰へない、と云ふ意味、別に柔毛に被はれたると云ふ意味もあつて、owl-downyと続けたPoeの用語がきいて来る。結局小賢しい、きいた風のくらゐの意味である。

(8)ごくちょつとした虚讃。

(9)Twirlはくるくる廻ると云ふ意味。此處ではfaintest puffもいろいろとあたまのほかでこねまはししゐるうちにいつの間にかtrunk-paperになつてしまふと云ふのである。
(10)Trunkは樹の幹、それから来て本體、本心となる。Trunk-paperと続けるのはPoeの創案であらう。Paperは、文書、書類。Trunck-paperで「本質的な文書或は論説」と云ふ意味。

(11)勿論Solomonの略称。

(12)この”tuckermanities”は、最初”Union Magazine”に掲げられた時は、”Petrarchanities”となつてゐた。いづれもPoeの造語。”tucker-manities”は同時代の亞米利加の詩家にして評家、兼ねてPoeの恩人であり親友であつた作家J.P.Kennedyの傳記の筆者でもあつた(The Boston Micellany誌の朱筆Henry T.Tuckermanから出た造語でその詩文と云ふ程の意味である。Poeはこの男に対して余程不快感を持つてゐたらしい。1841年Graham’s Magazineに掲げた”A Chapter on Autography”中に既に”He is a correct writer so far as more English is concerned,but an insufferably tedious and dull one”(Works of E.A.Poe,Woodbery-Stedman Edition,vol.IX,p.220)と誌してゐる。TuckermanもPoeに対して好感は持つてゐなかつたと見えて、翌’42年末Poeの短稗The Tell-Tale Heart”を自分の雑誌The Boston Micellanyに掲載することを拒んだ由が、J.R.LowellからPoe宛の書状(Dated Dec.17,1842;rptd.in Harrison,Complete Works of Poe,VolXVII.,p,125)に見えて、Lowellはその拒絶の原因を”perhaps your chapter on Autograpy is to blame”と断じてゐる。尤も同年Dee.25付のPoeの返信に、その雑誌の主筆があの男だとは些しも知らなかつたと書いあるさうである(Ibid.,p126)。だが後に、紐育派の文人Charles Fenno Hoffmanが例のGriswoldに送つた1845年七月十一日附の書状を見ると、’45年七月十日の夕、紐育の某女学校の学生の詩歌競技に、招かれて判者の役を務めたのは、PoeとTuckermanの二人であつた。この犬猿もたゞならぬ両人は、実はそれまで互に曾つたことはなかつたので、その晩和解したと云ふことである。”Odd,isn’t it,that the women,who divide so many,should bring these two together.”とHoffmanは好クを弄してゐる。だが、この和解は長続きしないで、この詩では既にTuckermanに対して猛烈な慢罵を浴びせてゐる。だが、何の為に此處で、たとへ不和になつたからと云つて、攻撃の対象に彼を択んだか。わたくしの識り得た範囲内ではこの点を明かにしたものはない。わたくしはこれに就いてひとつの想像説を持つてゐる。それは後に述べたいと思ふ。猶、はじめに”Petrachani-ties”としたのは、T.がPetrarcaに関する小論を誌したことがあつたからである。

(13)Ephemeralと云ひtranspar-entと云ふ形容詞はすべてTuckermanが作品をbubblesに譬へたところから来たものであるが、この”so transpar-ent”を罵倒の意味で用ゐたのは単に第十三行の”opaque”に対照させる為ばかりとは思はれぬ。ここに不用意のうちにPoeの詩に対する観念の一端の現はれを見る。Poeは詩に於て必ずしも写象(image)の明確を旨としてはゐなかつた。彼の詩の多くはむしろそのrhythmと、用語のsoundとが醸成するatomosphereそのものに力を注いでゐたのである。或は”Of my most immemorial year”(Ulalume,l.4)と云ひ、或は”The viol,the violet,and the vine”(The City in the Sea,l.23)と云ひ、殊に”Bells”の如きはすべてそれである。従つてimageの直叙はPoeの採らざる處であつたに違ひない。Poeに傾倒してゐた仏蘭西象徴派の領袖Stephanie Mal-larmeの「物の全般を採りて之を示したり。かるが故に、その詩、幽妙を虧き(中略)夫れ物象を明示するは詩興四分の三を没却するものなり。」と云ふ説と心持を一にしてゐる。勿論、この詩はその「幽妙」の範疇に加へらるべき性質の詩でないこと勿論である。

(14)ここでも又反対に”opaque”即「晦澁」がstable,immortalとに伍して自誇の詞となつてゐる。勿論、この場合「姓名織込」の技巧の妙、その判読の困難などを誇つて用ゐたものに違ひないが、さてまたそればかりの意味ではなく、やはり、「幽妙」と「晦澁」とは盾の両面であつて、之なくしては佳詩を成し得ないと云ふ心持が含まれてゐるものと見做して差し支えないであらう。


※昭和4年発行の雑誌「英語と英文学」から原文まま再録しました。


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