「ニッポン洋行御支度史」ガイドブック1

西出勇志

 一九〇一(明治三十四)年十二月十八日、ロンドン滞在中の夏目漱石は、留学直前の茨木清次郎(後の東京外国語学校長)に宛て、渡英に関する懇切丁寧な手紙をしたためた。旅装や下宿の探し方について箇条書きでアドバイスしたその手紙の中に、次のような記述がある。

「ベデカーの倫敦案内は是非一部御持参の事」

ベデカーは当時、非常に重宝された旅行ガイドブックのシリーズ。ガイドブックの代名詞として英和辞典にその名が記されるほど、一世を風靡した。洋行する日本人はトランクに必ずこれを入れたと言われ、漱石も一九〇〇年に渡英した際にベデカー片手に市中を歩き回ったという。

ベデカーは十九世紀前半、ドイツ人のカール・ベデカーによって創始された。英国のマレー社発行のガイドブックと並び、最初の本格的なトラベルガイドとして旅行者の必携品となった。ヨーロッパ諸国や中東といった各地域を対象に、英独仏などの言語で刊行されたが、その記述の細かさと正確さが日本人の心を捉えた。 大正年間に日本で刊行された「世界通」という本がある。編集顧問には、海外団体パック旅行のはしりである朝日新聞の「世界一周会」を引率したジャーナリスト杉村楚人冠、同じくジャーナリストでシベリアで非業の死を遂げたとされる大庭柯公、作家の巌谷小波らが名を連ね、旅行の心構えから旅程の立て方、アフリカを含めた世界各地の情報を満載している。

その序文に「欧米に於ける世界的旅行の案内書としては、独逸のベデカアが最も多く世に行はれているが、我が世界通は即ち『日本のベデカア』を以て自ら任ぜんとする者だと云へば、唯其の一言を以て、『世界通』の意義内容は直ちに明白となることを信じる」とある。ベデカーに対するこの高い評価は、まさに当時の洋行のバイブルとされていたことを示している。事実、当時の文化人の洋行記にはこの本に触れたものが多い。
斉藤茂吉、永井荷風、黒田清輝…。漱石の弟子でもあった物理学者の寺田寅彦は、「案内者」の中で、ベデカーを愛用しつつもその記述どおりに見物しようとする日本人の姿に皮肉な目を向け「名状のできない物足りなさ」を抱いたと書いている。時代はやや下るが、北里柴三郎の弟子でマラリアの研究で知られた宮島幹之助の記述も、ベデカーと日本人の関係を描き出していて興味深い。

宮島が軽妙なタッチで洋行者の失敗談を綴り、パリで活躍したグラフィックデザイナー、里見宗次が挿絵を描いた一九三六(昭和十一)年刊行の「洋行百面相」(双雅房)。その中の「世界は廣いようで狭い」と題された文章は、パリのエッフェル塔の上で偶然に出会った一人の若い日本人について書いている。典型的洋行者と宮島が捉えた彼は「肩にはコダックの寫眞器をかけ、片手にベデカーの案内書を携へた」姿だった。

 そんな一時代を画したベデカーも徐々に衰退し、ミシュラン、ブルー・ガイド、さらに「地球の歩き方」誕生にヒントを与えたアーサー・フロンマーの1日○ドルの旅、ロンリー・プラネットなど、それぞれの時代に対応した新たなガイドブックが次々と登場してくる。ベデカーは現在もドイツで出版されているが、よほどのガイドブック好き以外、知る人は少ないだろう。

 ちなみに冒頭で触れたベデカーのロンドン案内だが、一九〇〇年版が数年前にOld House Booksから復刻された。漱石も歩いた十九世紀末のロンドンに浸れるこのガイドブック、当時のホテルやレストラン情報もたっぷり入っている。このガイドブックで漱石のロンドンを旅するのも楽しいだろう。

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雑誌「ホテルジャンキーズ」61号(2007年4月刊)
【プロフィール】にしで・たけし 1961年京都市生まれ。都内の報道機関から東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)に出向中。バッグや衣類、ガイドブックなど携行品を通した日本人の海外旅行史「モノ語り ニッポン洋行御支度史」を「ホテルジャンキーズ」誌に連載している(現在22回目)。共著に「アジア戦時留学生」「TVドラマ“ギフト”の問題」など。

 


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