「ニッポン洋行御支度史」ガイドブック4

西出勇志


 ガイドブックは海外旅行の必携品。観光名所からホテル、レストラン、交通機関まで幅広い情報をカバーし、現地語の簡単な会話集もついている。詳細な歴史解説など、その国・地域の総合案内と呼べるほどの旅行ガイドもある。一つの趣味に絞り込んだものも数多く出回るようになったが、特化したガイドブックとして意外に昔からあるのが男と女をめぐる案内書。今回は、戦前の洋行ブームと呼ばれた昭和初期に刊行されたこの種の旅行ガイドをみてみよう。

 1929(昭和四)年に出た「夜の倫敦巴里紐育」(欧米旅行案内社)は、ずばり、欧米でのナイトライフに焦点を絞った本である。冒頭に「倫敦巴里紐育は刺激の三大都市である」とあり、「甘かるべき筈の刺激を辛く錯覚して、宝の山に入り宝珠を拾いながら我が物とし得ない不感性の間抜(け)洋行者が少なくない」と意味深に言う。その上で「世界刺激の三大都に於ける夜の刺激と昼の刺激とを説いて洋行者の実用便宜に供する」と頼もしく宣言する。さらに同書は「無責任な漫談式のもので無く、洋行者が必ず経験する刺激に就いての有りのままの予備的説明」とも述べている。

さて、目次を見ると「活動写真館入口の不良少女」「シャンゼリゼの天女の口説」「酒場にロンドン女の醜態」「性業婦人の住所を知る方法」といったタイトルが並ぶ。その多くは、売春にまつわるマニュアル、危険回避術といっていい。例えば「タキシイへ連れ込む怪美人」の章。ニューヨークのセントラルパーク周辺を散歩していると、突然自動車が近づき、中から見知らぬ米国人女性が「サア早くお乗り遊ばし」と声を掛けてくる。女性は若く美しい。さて、そのような事態にぶつかったとき、いかに対応すべきか? 同種のエピソードは、1930(昭和五)年の島洋之助著「貞操の洗濯場」(赤爐閣書房)にも出ている。こちらはサンフランシスコでの話で、島は彼女たちを「新手のガール」と紹介している。まさに米国でのモータリゼーション草創期を象徴するエピソードの一つだろう。

「夜の倫敦巴里紐育」には若者を中心とした欧米風俗の描写もある。「活動写真館内のキッス自由席」では、パリには映画を見ながら恋人同士が抱擁し合える特別席が用意されていることを披露しつつ、それ以外の都市でも上映中に男女のキスが絶えないことを記し「パット明るくなって驚いて口を離す愛嬌者も往々見受ける」とお茶目に紹介している。
著者は瀧本二郎とマダム・ブレスト。2人は夫婦で、船上で寄り添う写真が口絵に掲載されている。ただ、日本男児と欧米女性との結婚は周囲の無理解もあり大変だった様子で、本書の「欧米婦人との同棲」の章で瀧本さんは、ほとんど愚痴のような苦労話をたっぷりと語っている。
著者の瀧本二郎はもともと、南満州鉄道の人事課、社会課に十数年間勤務した満鉄マン。会社からの派遣を含め、欧米には数度の留学経験があり、「欧米漫遊留学案内」「千五百円三カ月間欧米見物案内」「正しい洋服の着方と洋食の喰べ方」など、西洋事情に関する著作を数多く刊行している。その一方、1927(昭和二)年には「世界性業婦制度史」(大同館書店)や「欧米避妊方法批判」(瀧本研究所)を出版しており、性にまつわる研究家、運動家の顔も持つ異色の人物だった。「夜の倫敦巴里紐育」はその中間領域の仕事だったといえるだろう。

そして、その瀧本同様、性、特に売春制度の在り方に強い関心を抱き、その方面での貴重な記録を残したのが経済学者の道家斉一郎(1888―1942)である。 本職では「経済統計学」「財界の統計的予測」などの著書があり、都市を統計的にとらえる仕事を数多くこなした。戦時中は専修大総長も務め、「専修大学の歴史」(平凡社)によると、報国隊の陣頭指揮を取って日本精神を鼓吹し、その教えは「道家イズム」と呼ばれたという。東京市会議員を経て衆議院議員となって政治の場でも活躍。軍部に抗した衆議院議員の斉藤隆夫を厳しく批判、彼の「反軍演説」の直後には「何故に斉藤隆夫君は懲罰に附せられたる乎 国民は正しく認識せよ!」(1940年)という小冊子も出している。

ただ、道家が現代に名を残すのは、こうした仕事ではなく、1928(昭和3)年に出した「売春婦論考 売笑の沿革と現状」(史誌出版社)だろう。日本や世界の売春事情を数字で分析した研究書である。その道家が東京市から欧米に派遣された都市行政視察の副産物といえる本が、1930(昭和5)年の「欧米女見物」(白鳳社)。視察の合間を縫って「夜7時から朝7時までを自分の時間」として夜の女性たちを訪問し、睡眠時間を削って実態を探ったルポルタージュである。 執筆の動機は「(第一次)世界大戦以後乱れた欧米の社会状況に関する欺かざる記述を資料として永遠に残す」ためだという。それにしては、タイトルからしてかなり刺激的なのだが「標題そのものも内容も、も少し徹底的に資料として書きたかった」と悔しがり、本の販売戦略上、仕方がなかった旨を何度も述べている。また「こうした方面の描写がややもすれば淫奔の一言で酬いられがちなことは甚だ遺憾」とも語り、事実を記録するために「可成の危険と時間」を費やしたと力を込めている。 実際、本書を読み進めると、本当に危険な目にあっているのが分かる。それはどうも、学者とは思えないほど大胆な道家先生のパーソナリティーに負うところが大きい。例えばハワイでの一夜。警察官による検査だと言われて店から追い出されたことを信用せず、店のドアを蹴ったり大声を上げたりして騒ぎ、「腕力なら腰の弱いアメリカ人のことだ。年はとっても柔道四段の手前大したひけもとるまい」と、アメリカに不思議な闘志を燃やす。

ハンガリーに向かう車中で会った日本の役人に「私は売春婦の研究をしている」と言い、「へえ、うまいこと考えましたね」と笑われるが、「街へ行けば、大抵どういうところに彼女らが出るかくらいは分かる」と自慢し、感心されるエピソードも。 オランダでは金をめぐって女性と言い争い、「ボクサーなど恐れる俺では無い。日本の柔道で殺してやるぞ!」などという。以下、そのまま引用する。 「女の言うボクサーは此のホテルにいるに違いない。女とぐるになって客から金でも巻き上げる気なのだろう。よし!こいつは面白いと(中略)いきなり腰に提げていた短刀を引き抜いた。夜の探検の時はいつも用意して胴じめにさげていたのだ。ピストルも持っていたのだが、これは英国へ上陸する時サウザンプトンの税関で携帯許可証を持っていなかった為に取り上げられてしまった」 短剣にピストル。往時の洋行記はずいぶん読んできたが、なかなか登場しないトラベルグッズである。このように、トラブルもものかは、欧米の歓楽街をひたすら歩き回る。ただ、道家先生の名誉のために付け加えると、病気への恐怖と夫としての義務から「実行は決してしない」と決めていたようで、話を聞くだけで女性のもとから立ち去ったということらしい。

かなりの奇人だが、日本男児の気概に満ちた人だったようだ。400ページ近くある本だが、一気に読める。ただ、内容が内容だけに伏字だらけなのが残念である。その一部は大正年間に創刊された「サンデー毎日」の連載だったそうで、道家先生は「百年の後の貴重な資料になることを夢見つつ」と記している。

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雑誌「ホテルジャンキーズ」78号・79号(2010年2月・4月刊)に加筆
【プロフィール】にしで・たけし 1961年京都市生まれ。都内の報道機関から東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)に出向。バッグや衣類、ガイドブックなど携行品を通した日本人の海外旅行史「モノ語り ニッポン洋行御支度史」を「ホテルジャンキーズ」誌に連載中。共著に「アジア戦時留学生」「TVドラマ“ギフト”の問題」など


 


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