『震災に負けない古書ふみくら』

佐藤 周一


震災からもう半年が経ってしまった。此の間自分は何をしていたのか、膨大な数の買入は、本来は古本屋としては喜ぶべき事なのに、素直に喜べない。特に地震被害の大きかった須賀川地区(震度6強)では首都圏から来たリサイクルショップ等のあくどい整理屋の跋扈。片づけるには、これこれの費用がかかると言って、お金をもらって品物を持ってゆく。あまりのひどさに博物館と教育委員会に呼びかけて、出来るだけ整理する場合は博物館に相談してもらうように話を進めた。

 3月11日午後2時46分。今でも夢ではないかと思うことがある。いや夢であってほしいと言う思いがある。でも地震、津波、そして原発の事故は現実である。須賀川の店は幸いにも半壊ですんだ。店に張られた「危険」の赤い通知書、大工さんには今度大きな余震が来れば危ないと言われた。それでも中の本を黙々と片づけ、営業を少しずつでも再開してくれた娘には頭が下がる。多くのお客様からの励ましの言葉にも感謝している。

 郡山市の駅前、当店が店を出した頃、27年前は十店舗ほどの地元の新刊書店さんがあった。今駅前の路面店は間口一間半の当店だけが細々と営業を続けている。確かにまだ中央から来た大型店が3店舗残っているが、それもこれ以上景気が悪くなったら、どういう方向に向くかは解らない。須賀川市の商店街も同様、市内に残っているのは当店と新刊書店1軒のみ。地元の新刊書店は潰滅に近いほど、此の十年ほどの期間で店を閉じてしまった。確かに本は売れなくなっている。だがそれだけが原因とは思わない。何なんだろうといつも自問自答の日々である。そして震災後、古本の業界にも同様な事が起きている。この間、二店の古本店の整理を頼まれた、店に残された本の山、本が泣いている。買いたくてもとても全部を処理する自信はない。それでも何とか生かしたいと言うジレンマ。病床の身には辛い。後どれだけ生きられるかは解らないけど、それでも何とかしたいという強い思いがある。

この震災でよく解ったことが有る。政府がこれほどまでに機能不全を冒していたことが良く見えたことである。すべての事に対してあまりに遅すぎた。地震、津波、原発事故、行き当たりばったり、後手後手、避難を呼びかけたら、避難先をきちんと準備するのが行政の責任なのに、自主的にお願いしますという言。何なんだろうこの国は命より大事なものは無いのに法律だ、経済がだめになるとか言ってこの半年、何がどう進んだのか解らない状況である。特に原発の事故に関しては隠しているばかり、いわゆる専門家もこの際信じがたい、責任の所在もはっきりしない。原発立地の町には、どう除染しようが完全には除去出来ない。町の存続にも関わる大事な事なのに。帰れるという幻想を振りまく大臣。政治家の責任として、どう非難されても、今後何年かは住むことが出来ないので、代替えの土地を用意するぐらいきちんと言うべきでは無いかと思う。原発数キロ圏内の被災者の多くは、すぐには戻れるとは思っては居ないはずだ 。心情的には帰りたい、でももう帰ることが出来ないかも知れないと言う思い。それを理解して被災の住民に説明するのが政治家の責任だ。

これから原発がどうなるのかは解らないと同様、古本屋の未来も解らない、でもそれでも多分この仕事は続けると思う。いろんな本との出会いが何より好きだから、多くの出会いがあるから。店が赤字でも他で補えればなんとかなるかと思っているし、又そうしないと、千年続いた本の歴史がとぎれては、少しオーバーかも知れないけど、先人たちに申し訳ないとも思っている。何はさておき、今回の災害を転機として、又道を歩き続けたい。


古書ふみくら 佐藤周一

 


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