古本屋が『映画学の道しるべ』を読み解けば 1

稲垣書店 中山信如


 しかし、それにしても、牧野守という人はなんて幸運な人なんだろう。数年前『日本映画検閲史』『日本映画文献書誌 明治・大正期』とたてつづけに出せただけでも充分めぐまれているというのに、またこんどの『映画学の道しるべ』である。いくら本人の類いまれなエネルギーとバイタリティーのたまものとはいえ、この出版不況のさなか、間違いなく映画文献史上に残るとはいえ、こんな売れそうにもない本を次から次と出してもらえるなんて。しかもこれまでのようなメインの研究テーマや書誌ではなく、周辺について書いた過去の文章までかき集めて本にしてもらえるなんて。おかげで前半に収録された「キネマ旬報」連載の「ガクノススメ」ひとつとってみても、日々東奔西走するフットワークのよさを通して、牧野守という蒐集家にして研究者の輪郭がくっきりと浮かびあがってくるではないか。

 しかし、それにしても、牧野守という人はなんて幸運な人なんだろう。「キネマ旬報」大正期復刻版を出した雄松堂から、引きつづき『日本映画文献書誌』を出してもらえ、今刊行中の「キネマ旬報」昭和戦前期復刻版の版元文生書院から、併せてこんどの『映画学の道しるべ』まで出してもらえるなんて。いずれの版元もわが古書業界の人。いくら牧野が業界にとって文献資料を買いまくってくれたありがたい客だったからといって、矢継ぎばやに出す復刻版はオリジナルの市場価格を下げる原因ともなり、牧野の活動に功罪があるとすれば、古本屋にとって正直罪のほうが大きいかもしれぬ。

 それでも牧野の強烈な蒐集意欲の磁力に巻き込まれ、手助けしてやろうと現れる古本屋は引きも切らず。が、苦労したであろう購入のための資金ぐりのことではソゴをきたさぬこともなく、古くからの業者は一人また一人と去り、ふと気づけば今は私一人。その私とて途中破局の危機がなくはなかったが、あのパッションと憎めない人柄に根負けし、ついつい損覚悟で協力してしまう。

 しかし、それにしても、牧野守という人はなんて幸運な人なんだろう。みずから私設映画図書館と称して開放した自宅書庫に次々と通い来る海外の映画研究者たちが育ち、母国に戻って実績を積み、行く着くところ膨大な文献資料は〈マキノコレクション〉として海の向こう、米コロンビア大学東アジア図書館に納まってしまうとは。いくらわが国では珍しいグローバルでオープンな発想のもと、内外の研究者に研究基盤を提供しつづけたたまものとはいえ、アーロン・ジェロー、阿部・マーク・ノーネス、ジェフリー・ディムなどなど、当店にやってきた外来の研究者のほとんどは牧野私設図書館経由であり、ほかに外国の研究者はいないのかと思ってしまうほどだ。

 有名な、外出せず仕事に没頭しやすいよう誰彼なく無償でふるまいつづけたSOMEN(外人にソーメン!)のお礼としては、報われすぎとは言えないか。私はソーメンのご相伴にはあずかれなかったが、一度泡盛のつまみに今どき珍しいミリンボシを出されて驚いたことがある。でも今にして思えばソーメンといいミリンボシといい、それこそマキノマモル流の飾らぬ精一杯の歓待法だったのだろう。

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