古書即売会の魅力−未知の本に必ず出合える

日本古書通信社編集長 樽見 博


 「日本古書通信」総顧問八木福次郎が亡くなって2ヶ月余りがたった。昭和54年1月入社以来実に33年間もお世話になった恩人であり師匠でもあった。ここ10年ほどは雑誌の編集を任されてきたが、八木の意に叶う成果は上げられず忸怩たる思いが強い。最初の10年ほどは編集といっても何をどうすれば良いか全く分からなかった。八木を苛せることも多く、逃げ出そうかと考えたことも何度かあった。そこを何とか乗り切れたのは、満足には出来なくても仕事そのものは面白いし、事務所が東京古書会館内にあったため、金曜土曜の即売会と毎日開かれる市場を覗くことが出来たからだ、とはっきり言える。

 古本好きには神保町古書街や東京古書会館は聖地でありパラダイスだ。何十年も古本屋や古本探しを続けていても、ここに来れば初めて見る本や雑誌に必ず出会えるからだ。勿論それは稀覯本や金額的に高い古本とは限らない。しかしともかくも何年たっても未知の本が眼前に現れるのだ。  業者の市には、未知の本に価値を与え競争入札するというスリルがあるが、古書即売会の面白さは、長年探していた本や未知の本を一般人が直に手に取り確かめて買えるという魅力に尽きるだろう。古書価は、珍しさ、保存の程度、内容の良し悪しの三要素で決まるが、それは一般化した場合の話しだ。古本の持つ価値・魅力は実は各人各様で一般化は出来ない。文学書など明らかに初版尊重が顕著だが、内容が改訂された再版や装丁を変えた重版・異装本を探す場合は極めて多いのだ。日本の古本屋には現在600万件を越すデータが搭載されているが、1冊の本が持つ様々なバリエーションをすべてカバーは出来ていない。第一、現物を見ないことには確認出来ない。なにしろ未知の本を探しているのだから、その点はいかにデータが膨大になろうが無理なのだ。

 私は、ここ6年ほど昭和前期の俳人による戦争俳句作品・評論に関する資料を探してきた。純粋に芸術的であった俳人達が、戦争という状況に直面することで変貌していってしまう、その実態を当時の資料で辿りたかったのだ。中でも指導的な立場にある俳人は俳句入門書や理論書を大抵出しており版を重ねる本も多い。それらが戦時体制に統一されていく中で初版には無かった戦争俳句に関する記述を増補した改訂版が出される。あるいは句集にも戦争の色が徐々に濃くなって行くのだ。戦争俳句に関する論議は、当初、伝統俳句と新興俳句の論争の中で盛んに行われたのだが、いわゆる「京大俳句事件」という新興俳句への弾圧により終息する。以降、戦争俳句、なかでも戦地にある人々の作品は神聖なものとして犯すべからざるものになり、芸術的な論議の対象ではなくなる。その経過を辿るには、当時の俳句総合雑誌「俳句研究」や様々な俳句結社誌や同人誌に当たるしかない。しかも編集後記とか俳壇や同人消息など小さな記事が意味を持つ。逆に戦中に出された本から戦争色を消して戦後再刊された本もある。これらは現物を見て知るしかないのだ。日本の古本屋のデータだけでは分からないし、第一、戦前の俳句雑誌など極僅かしか登載されていないのが現状である。こうした資料探求の実情は、テーマを持って古本を求める人間なら誰でも共通なことだ。どんなに便利な世の中になっても最終的に資料は足と時間を費やして探すしかない。

 「日本古書通信」の編集を通して多くの古本好きに出会い、そしてお別れしてきた。彼らは若い頃や壮年期までは熱心に即売会に通うが、やがて古本購入は目録中心に変化していく方が多かった。時間の問題もあるが、収集が進むとなかなか満足できる資料に巡りあうことが少なくなっていく。最初に書いた未知の本に必ず出会えると書いた事と矛盾するようだが、希望する資料が少なくなるのは当然である。ただそこまでに達する収集家は極一部だし、買うべきものには出会えないことを承知で、なお万分の一の可能性を求め即売会に通う人も少なくない。新しい探求者や収集家は現れてくる。どんどん新鮮な商品を販売してくれれば即売会はずっと存在していけると思うし魅力は失せない。古本屋さんたちには頑張ってもらわなくては困るのだ。


略歴 樽見 博(たるみ ひろし)
昭和29年、茨城県生まれ。57歳。
主な著書『古本通』『三度のメシより古本!』『古本愛』(いずれも平凡社刊行)

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