週刊『図書新聞』について

編集長 須藤 巧


『図書新聞』の創業は1949年である。「硬派書評紙である」と書いて「ゴリゴリ・レビューである」と読ませる広告を、もしかしたらご覧になったことがあるかもしれない。かつては駅のキヨスクでも『図書新聞』を買えた時代があったが、そんな時代はとうに過ぎ、「たゆたえど沈まず」と言えればカッコいいが、どうにか、週刊の書評紙として発行を続けている。

 去年の3・11を受け、『図書新聞』ではいち早く、3・11を21世紀の思想の原点、既成の価値観の転換点として捉え、以後多くの論考・インタビュー・対談や関連書の書評などを掲載してきた。さる5月5日、日本の原発が全基停止したが、これは決してゴールなどではない。東京電力の「再建」計画に原発再稼動が条件としてあるが、つまり原発は私たちの「よりよき生」に貢献するのではなく、「カネ」に愚直に奉仕することしかできないのだ。私たちの欲望が「原子力国家」を生み出したならば、それを延命させるのも、終わらせるのも、私たち次第であることは言うまでもない。

 ところで、くまのプーさんは、ハチミツが大好きで、それを舐め尽くすまでやめない。ハチミツはだいたい壺に入っているが、なぜ壺に入っているかまで考えないし(そもそもプーさんは壺をつくれない)、ハチミツを保存しておくとか、舐め尽くす前に次のハチミツがどこにあるかを調べておいたりはしない。プーさんは、ハチミツを見つけると無我夢中になってしまい、周囲がまったく見えなくなってしまう。

 欲望にまみれ「原子力国家」を生み出してしまった私たちはプーさんとよく似ている。私たちは、甘いハチミツを舐め尽くす「悪癖」を治せないプーさんのような存在である。しかし、私たちはプーさんと少しは違う。まずあんなにかわいくない。そして、私たちは、反省したり、懲りたり、やり直したり、考え直したり、「よりよき生」を求めて行動できる。「ゴリゴリ・レビュー」を標榜し続けてきた『図書新聞』は、3・11のずっと前から、時代を生き抜いていくための一つの小さい光、「思想と行動」の糧となろうとつとめてきた。

 昨日があったように今日があり、その延長に無条件に明日があるだろうとは思えなくなってしまった――私たちはそんな時間、時代に生きているのではないだろうか。「3・11以後」を生きる私たちの糧となる紙面を、今後もつくっていきたいと思う。


(『図書新聞』編集長・須藤巧)



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