『図説 印刷文化の原点』について

松浦 広


 日本では、年末になると新聞はもとより、週刊誌・月刊誌、テレビなどが「この1年を振返る」という特集を組み、「話題になったニュース・トップ10」などを挙げる。 古代から圧倒的に中国の影響を受けた我が国では「1年」もしくは「10年」の区切りでモノを考える。あるいは稀に「100年」の単位で考える。だが「千年」の単位で考えることはなかった(※注1)。おそらく1997年に国際的な写真誌『LIFE』が「ミレニアム特集(※注2)」を発刊したとき、<millennium>つまり「千年紀」という概念をすぐに理解できた日本人はきわめて少なかったはずである。

上記「ミレニアム特集」では、「どのような歴史を経て現代があるのか」を解明するため、数百名の学者・有識者・ジャーナリスト達が数ヶ月かけて、「EVENTS(出来事)」と「PEOPLE(人物)」のトップ100を選定した。 その結果、第1位は「ドイツ人グーテンベルクによる1445年の聖書印刷」であった。「コンピュータの発明」「パソコンの開発」「インターネットの開始」など、おそらく日本で選出したら間違いなく5位以内に入りそうな項目は1つも選ばれていない。ちなみに人物の第1位は「エジソン」で、こちらも日本人ならコンピュータの発明者、モークリーやエッカート、マイクロソフト社を創業したビル・ゲイツやアップル社を創業したスティーブ・ジョブスをあげるだろうが、いずれも100選から洩れている。

さて、第1位に選ばれた「ドイツ人グーテンベルクによる1445年の聖書印刷」だが、印刷業界も学会もこのニュースには意外なほど関心を示さず、反響もなかった。印刷企業に勤めていた私は、なぜ「このように重要なことに関心を持たれないのか」恩師・先輩・友人・同僚などに訊くと「ビジネスに結びつかないからだ」と言われた。つまり「カネにならない情報には関心を持たない」ということらしい。

本当だろうか。印刷産業は、かつて「印刷存處/文化在焉(印刷存る処に文化在り)」といって、文化産業の一翼を担うことに誇りを持っていた。なぜかそれが忘れられてしまったのだろうか。 だとすれば、印刷という仕事に誇りを持ってきた人達や、これから印刷に携わる若い人達に、ぜひ知って欲しい「印刷の歴史」や「印刷の文化」について紹介する必要がある。若い人達に「面白そうだ」と関心を持たれない産業は衰退してしまうからである。

そこで、これまでの「印刷関連の本」には書かれなかった、世界最古の印刷物である「百万塔陀羅尼」(ひゃくまんとうだらに)、国宝や重要文化財に指定されている印刷物、「印刷」という言葉を作った江戸時代の蕃書調所、あるいはビールやコーヒーなどと同じころにオランダ語から翻訳されたインキという名称などを取り上げて解説し『図説 印刷文化の原点』として上梓した。

著者の表現力や構成力、さらに校正力が至らないため、読解するのに難儀な箇所や、明らかな誤字などがあるが、その内容は、これまでに出版された凡百の「印刷」の本とは、一線を画すると自負している。


――この本は平成24年6月に日本図書館協会の「選定図書」に選出されました。

※注1
管子の一節に「一年の計は穀を樹うるに如くはなし/十年の計は木を樹うるに如くはなし/終身の計は人を樹うるに如くはなし」とある。中国ではこれを略して「十年樹木、百年樹人」というらしい。ものごとの時間を計る尺度が最大百年なのである。

※注2
正確に言えば「THE MILLENNIUM-100 EVENTS THAT CHANGED THE WORLD」つまり  「この千年紀で世界を変えた百の出来事」特集。




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