『立花隆の書棚』について

 立花 隆

 この本を書きあげて、つくづく思ったことは、私がどれほど古書店とつながりが古いかということだ。

 全書棚を撮影したカメラマンの見立てによると、蔵書数はざっと10万冊くらいだろうといっていたが、その半分以上が、古書店で買ったものだと思う。新刊の本を思う存分買えるようになったのは、比較的最近 のこと(特に書評をするようになって新刊書の購入代金を出版社に請求できるようになってから)で、若い頃はそんなに金がなかったから、大半は古書店で買っていた。

 私と古書店の付き合いは古い。だから古書通信も相当前から読んでいた。神保町に足しげく通うようになったのは、高校生になってからだから、昭和三十二年からだ(この年に上京して都立上野高校に入った)。

 最初に神保町に行ったのは、本を買うためではなく、本を売るためだった。父親が出版業界新聞・書評新聞の仕事(「全国出版新聞」→「週刊読書人」)を終戦直後からずっとやっていたから、家にはいつでも本がゴロゴロしていた。処分していい本がある程度たまると、「これを○○(今は廃業した古書店)に持って行って売ってこい」、と命じられて、大きな風呂敷包みをブラ下げて、本を売りに行ったのである。といっても、「父に言われてきました」といって、店主に本を渡すだけの”お使い”である。行く店はおおむね決まっていたが、ある時点から、古書店は、同じ本でも 買い値も、売り値も、時によって、店によってまるで違うということを学習して、何店かまわって、駆け引きを試みるようなこともした。そのうち、古書店の棚を見て歩く面白さがわかってきて、ひまさえあれば、古書店を見て歩くようになった。

 あの頃、神保町周辺、水道橋周辺には、いまの何倍も古書店があった。
大学生になってからは、自分の欲望で古書店通いをした。いつも金がなくてアルバイト生活だったから、本は古書店をまわって、いちばん安いものを買うことにしていた。都内全域の古書店地図帖を入手して、それを片手に、主な古書店街は歩きつくした。神保町・水道橋周辺以外では、早稲田周辺、本郷東大前周辺、中央線沿線の主だった古書店はだいたい歩きつくした。どの書店のどの棚のどこに、どういう本がどれくらいの値付けで置いてあるか、いつのまにか頭の中で記憶し、比較検討していた。

 あの頃は、いまのように、ネットで古書店のページを開けば値段を簡単に比較できるなんてことはなかったから、ひたすら自分の記憶だけが頼りだった。

 大学を卒業して、出版社に就職して雑誌取材の仕事をするようになってからは、地方に出張するたびに、その土地の古本屋を漁るのを楽しみにした。特に京都、大阪、神戸の古本屋はなかなかの店が多く感心した。

 いまは年をとったせいもあるが、足が弱くなり、体力も相当に落ちこんだので、昔のように、足にまかせて歩きまわるということができなくなった。しかし、ネットが発達したおかげで幾らでも本探しができて、行ったことも、聞いたこともないような地方の古書店を含めて、簡単に欲しい本が入手できるようになったのはありがたいかぎりだ。おかげでいまは若い頃より、もっと古書店を利用しているといえるかもしれない。

 最近は、ネットで商売をするだけで、リアルな店舗すら持たない古書店が結構あると聞いている。リアルな出版業の世界では、不景気な話しか聞こえてこないが、本の流通の世界では、古書店を通しての、価値ある本の流通総量はこれからも衰えることなく増えていくと思う。今日も神保町の三省堂に新刊本を買いにいって、帰るときには、新刊本の包みより大きな古本の包み(三省堂近傍の古書店で買った)をぶら下げていた。




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