『冬人庵書房−山岳書蒐集家の60年』

野口冬人

 新刊書の中には、時とすると出版された日から古書店に並ぶこともあるが、この本は古書ではない。三月二十日に出版されたばかりの新刊本である。それなのに「日本の古本屋メールマガジン」から、この本について何か 書けと言ってきた。もはや古本なのである。などと少々ひがんで書き出してみたが、考えてみたら本の内容は山岳図書の古本あさりの悲喜こもごもの話を書き連ねたものだ。日本の古本屋に取り上げられてなんら不思議はない。

 いや、むしろ私の本のことを好き勝手に書いて下さい、ということは、これはたいへんな宣伝になることである。読者にとって、山岳書をいかに苦労して、身をけずるようにして蒐集に明け暮れた、ひとりの山好き、山の本好きの日々をこの本からかぎとっていただけるなら著者としてはこんな嬉しいことはない。

 『冬人庵書房−山岳書蒐集家の60年』と題されたこの本の命名の由来は、山登りの用具と山の本を所せましと並べて、足の踏み場のないわが四畳半の狭い部屋に付けられた名称からとった。
 山登りとほぼ同時に山岳図書の蒐集に、それこそ<少しおかしいのではないか・・・>と周りの人たちが陰口をいうほど、明けても暮れても山の雰囲気を常にまとっていた「昭和」の時代の私の日々を綴ったものである。

 山を歩くにはガイドブックが必要ということで、はじめは山のコースを知りたいがための案内書集めであったが、それが次第に熱を帯びてくると、記録、研究書、紀行集、エッセイ集などへと広がって行き、果ては「山」と 関係のあるものなら何でもということになって、蒐集の幅が広がって行った。 山を歩くのにいる費用と、山の本を買いあさる資金を得るためには、あらゆるアルバイトに手を出し、たまに得る山の雑誌からの原稿料などはすべて山書の購入に使われた。

 山へ行けない休日などは山仲間を集め、「古本ハイキング」と称して、神田古書街から本郷、早稲田、山手線沿線、中央線沿線の古本屋をそれこそ一軒一軒訪ねては、本の棚に目を走らせて山の本を見つけ出した。

 山の本を集中的に集めて棚に並べている古本屋もあったが、あまり山岳書に関心の深くない古本屋からは、結構格安な掘り出し物があったりして、夕方にはかついで行ったリュックサックがかなり重くなるほど買いあさったこともあった。
 資金がないから毎日一冊ずつを積み立貯金のつもりで買うことを日課にしたり、山岳雑誌のバックナンバーを一冊一冊集めて、十年もかかって完揃にしたりした。
 苦労に苦労を重ねて、その反面楽しみながら、山岳図書蒐集に浮き身をやつした悲喜こもごもの青春の日々。今でも高田馬場駅前ビックボックスに古書感謝市が立つとつい足を運ぶ。

 60年の成果、約一万三〇〇〇点の山岳書、雑誌、山岳会会報、部報類は、大分県長湯温泉の一角に「林の中の小さな図書館」として収納、展示、公開されて、山の好きな人たちや、温泉保養に来ている人たちに楽しまれている。 次代へ引き継ぐことのできた図書館を造ってくれた首藤勝次氏(竹田市長、大丸旅館主人)には感謝にたえない。




 『冬人庵書房――山岳書蒐集家の60年』野口冬人 著
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