曲がりなりに1周年 ぷねうま舎

中川 和夫


 「真理との、救いとの間合い、ひととの、社会との間合い、良い本との、悪い本との間合い、ベストセラーとの、倒産との間合い……“はざま”を吹き抜ける風でありたい。これからも、間合いを大切に泳いでいきます」。  いささか負け惜しみめいてもいますが、創業1周年フェアのポスターに「“ぷねうま”のこころ」として上の言葉を記しました。出版のいのちである多様性を保持する途はあるのか、ないのか。

この1年、念じ続けてきたことが口をついて出た、ゴマメのつぶやきです。  あっちにダークマターとIPS細胞、こっちに社員食堂と枕絵の本、陽のあたるところもあれば、ほの暗い場所もある。ぶつぶつと情念の圧力でマグマが躍っている、これが私のイメージする出版界の理想状態です。この多様性がいま、間違いなく失われようとしています。

 そんなことはない、という声が聞こえます。電脳図書館となれば、誰でも容易に文化財にアクセスできるではないか、雲のイメージの、つまり中空に浮いている情報のプールができれば、いつでもどこでも、もっと簡便に必要な知識を手にすることができる、と。たしかに、3次元の冊子体という「物」の重さから人類は解放されました。しかし、あれよあれよという間の、享受する側の便宜の拡大に目を奪われて、送り手の側、発信する側の問題には蓋をされているのではないでしょうか。

 80年代のはじめからほぼ30年、編集の現場にいた者として、かつて教えられ、あるいは自分なりに嗅ぎ分けてきた出版の常識は完全に崩れ去ったと思わざるをえません。その「常識」なるものには、制作の技法から、流通のシステム、著者との関係の作り方までが入ります。そして、その変化のスピードにはこの1年〔2012年度〕、さらに加速度が加わった、とは同業の仲間たちが異口同音に口にするところです。

 「出版は産業にはならないよ」。3世代上の先輩がなにかにつけて言っていた言葉でした。なぜか。書き手がいるからです。そこには「書く」という、人間的あまりに人間的な営みを引き出す“関係”があるからです。経済の原則と論理に乗りきらないものが、間違いなくあるためにです。

 なにも昔はよかったなどと言いたいのではありませんし、メディアの革命前の出版界もさまざまな問題を抱えていたのは当たり前のことです。ただしかし、そこには競争の場を提供するという仕方であれ、登竜門を置くやり方であれ、次の世代の書き手を育てるシステムがあって、水源から川下までの体制の全体がそれを支えていたことは事実だと思います。

 書き手を再生産する、人間を育てる、その方法を組み込んだシステムをつくる、これは技術革新や経済原則とはそもそも次元を異にする課題です。いまや斜陽産業となった出版の抱える問題の中でも、これがもっとも深刻な壁だと、私は思っています。  「人生で一度くらい、完全な敗北を味わってもいいではないか」。創業に際して、同業の先輩が贈ってくれた一句です。「人生とは敗北のようなもの」でしょうから、ここでの力点は「完全な」にあります。文字通り蟷螂の斧ながら、なんとかこの「完全な」を回避して、書物の多様性の一端を担いたいものと考え続けています。   
               (ぷねうま舎主・中川和夫)

ぷねうま舎
  http://www.pneumasha.com/
     


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