『名古屋とちくさ正文館』

古田一晴

中学一年の後半、一九六五年一月九日、名宝文化劇場で、ポーランド映画アンジェイ・ムンク『パサジェルカ』(一九六一)を観る。ATG正月特別番組であった。名古屋地区は、封切りであっても、二本立てが慣例であった。併映は、イェジー・カワレロウィッチ『尼僧ヨアンナ』(一九六一)記念すべきATG第一回作品。二度の衝撃であった。

 名宝文化劇場は、名宝会館内にあった。名宝劇場(東宝系封切)スカラ座(洋画封切)などが入居。娯楽総合ビルであった。当時は市電が運行していて、納屋橋駅の南側にあり、二〇〇三年閉館になるまで、名古屋の映画館のシンボル的存在であった。

 上映後買い求めた、アートシアターのパンフレット(No26)が素晴らしかった。 岡田晋「アンジェイ・ムンク評伝」進藤重行「ポーランド映画界と映画人」などと、必ずシナリオ再録があり、それまで、スター紹介の商業映画のパンフレットしか知らなかった私はカルチャーショックをうける。

アートシアター、NR6に、当時(六二年)マネージャー鈴木文男氏は、「中部日本唯一のアートシアターと云えども、背景は偉大な田舎?名古屋市、発足当初はつくづく知識層の浅くて狭いことを思い知らされました。」と記している。同年二月二十日には、ミハイル・カラトーゾフ『送られなかった手紙(一九五九)』も観ていて、アートシアターを読むことが映画の背景を知り、知識の蓄積のきっかけとなる。

当時の映画誌より高いレベルの情報が得られた。お決まりのコースだが、高校生になった頃には手元にある映画資料が余りに貧弱で、映画史の本を読めば読むほど、未見作品の多さを思い知らされる。当然図書館の蔵書リストを書き写したりしたが、雑誌のバックナンバーは皆無であった。古書店に出入りする頻度が高くなる。

大学入学頃には、ほぼ日常化していた。これもお決まりのコースである。アートシアターのバックナンバーも全巻は大きな目標のひとつであった。ある時、古書店めぐりのコース、鶴舞、日光堂書店に、アートシアターのバックナンバーの揃いが店頭にあった。そのときは確認しただけで帰り、再度出向いたときは、すでに誰かの手に渡っていた。

ご主人とは言葉を交わしたこともあり、忘れられない思い出になっている。同じような失敗をもう一度した。「パンテオン」の揃いが、栄町の尾関書店に並んだ。この時は、東京の古書店が買っていかれたと、後日談。その時入手した「ロゼッティ紀念號」が今でも手元にある。   




 『名古屋とちくさ正文館』古田一晴 著
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