倶楽部雑誌探求

塩澤実信

「倶楽部雑誌」という言葉は、いまや死語に近いが、明治末期から大正時代を経て、昭和三十年代までの数十年間は、倶楽部雑誌時代であった。  講談社から創刊された「雑誌倶楽部」に端を発していて、講談は低俗ながら広い愛好者がいるのに着眼し、それに新しい魂を吹き込んで、大衆文学に衣替えさせたのである。

 同社は、この誌を核に、婦人・少年・少女などの読者ターゲットに、倶楽部を結びつけた。面白くてためになる雑誌を次々に創刊。戦前に九大雑誌を擁して”雑誌王国”を豪語するまでになった。  弱小出版社は、この講談社に習い柳の下の二匹目のドジョウを狙って、倶楽部系雑誌を続々と発行し、そのトータル部数で定期刊行物の過半を占める時代を現出させた。

 しかし、量より質を建前とする出版界は、倶楽部雑誌をはじめ、赤本・立川文庫・マンガ雑誌などのマイナーな分野は、疎んじて顧みようとはしなかった。 これでは、出版界を語るには片手落ちである。この間隙を埋めるには、倶楽部雑誌をはじめ、マイナーな出版にかかわった各位の証言を集めるほかはない。  だが、その類の定期刊行物は半世紀前にあらかた消滅し、かかわりのあった老兵は消え去って久しかった。  その現実を前に、ひとり犀利な出版評論家小田光雄氏が、日本出版史の欠落した部分を埋めるべく、探査、博捜、関係者に登場願って、論創社から画期的な「出版人に聞く」シリーズを始めていた。

 小田氏は、また戦後出版界をつづった拙著を素材に、大部の『戦後出版史』を編纂していて、その因縁から私が『倶楽部雑誌探求』の語り部を務めるめぐり合わせになった。  私は、戦前・講談社で糧を食んだ面々が、敗戦直後に立ち上げ、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったロマンス社を振り出しに、中小出版社を転々とし、辿り着いたのが倶楽部雑誌を十余誌も発行していた双葉社だった。

 同社では、週刊誌編集が主で、後に編集部門を総括する立場にあったことから、倶楽部雑誌を一瞥していた。小田氏は、私のキャリアに着眼し、固辞したものの語り部に引っぱり出されたのである。そして、私の曖昧模糊した話に、整然とした裏付けと、条理だった筋道をつけ、一読できる体裁を整えてくれた。一読いただければ有難い。






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