『高橋新太郎セレクション』のこと

内堀 弘

 高橋新太郎さんのことを、みな「シンタロウさん」と呼んだ。私のように年若な古本屋も、年長の先生も、それは同じだった。
 一九八五年に、若手の古本屋が中心になって『彷書月刊』という雑誌をはじめた。
 今は沼津に引っ越した自游書院の若月さんが呼びかけ、当時で還暦だった堀切利高さん(荒畑寒村の研究者)が顧問役。編集長はなないろ文庫の田村治芳さんで、私は雑事手伝いだった。

 猿楽町の事務所には同好の本の虫がよく訪ねてきた。新太郎さんもそうだった。何十年と古書展に通い、まるでそこを教場のように学んできた人たちだ。若造の古本屋よりよほどキャリアも豊富だ。うっかりすると、事務所がインナーな溜まり場になりかねない。でも、そうはならなかった。堀切さんの清廉な人格、そして新太郎さんの凜とした品性が、いつもその場所を風通しのいい、豊かなものにした。

 新太郎さんは『彷書月刊』に「集書日誌」を連載した。編集長の田村さんは腰までとどく長髪で、ひと昔前のヒッピーのようだった。こう言ってはなんだが、およそ学習院大学の教授が付き合うタイプには見えない。でも新太郎さんは「ハルヨシさん、ハルヨシさん」と、会えばなんだか嬉しそうだった。
 この連載は九三年から九九年まで、番外を加えれば八十回も続いた。それが『高橋新太郎セレクション』の第三巻で通読できる。
 古書展でも、古書目録でも、本当によく買われた。この連載は月々に獲たものから印象に深いものを取り上げるのだから、まさに水を得た魚だった。
 時代の破片のような小冊子や紙片が、生き証人のようにこの国の近代の闇を照らす。そんなことも大げさな筆致ではなく、まずそれを載せた古本屋のことから書きはじめる。
 「よく蒐めたなと思う古書店(目録)には、何か一点でも注文を出してあげたい」、よくそう言われた。古本屋は客に育ててもらうというが、私たちはこういう人に育てられたのだ。
 連載の六年間は、古書の世界でいえば「インターネット夜明け前」だった。そう、本はまだ「検索」で探す時代ではなかった。古本も、人も、思わぬところに潜んでいて、それを発見し、驚き、共感する。連載はよい時を得ていた。たとえば、こんな記述がある。

「『田中英光研究』第六輯が届いた・・江戸川のアパートに棲まう西村賢太が独力で刊行する研究誌だ・・西村の文字通りの全身的な打ち込み方には、惚れ惚れする」(1995年4月)

 この青年が芥川賞を受賞するのは2011年だから、まだずっと先のことだ。無名で、しかし懸命な仕事に「惚れ惚れ」するのは、相手が古本屋であっても変わらない。新太郎さんにとって古本屋は共闘者だったと、これは都合のいい読み方ではなく、懐かしい実感として思う。2003年の1月に新太郎さんは亡くなった。
 亡くなる一年ほど前、私は古書のエッセイ集を出して、その記念の会を友人たちが開いてくれた。新太郎さんにも案内を送ったが、返事は来なかった。体調が良くないと聞いていた。ところが、会の当日に突然現れた。私の腰をポンとたたき、ニコッと笑って握手をした。その手の感触が十年も昔のものとはとうてい思えない。
 学究として新太郎さんが何を目指していたのかを私は知らない。一冊の単著も遺さずに逝った人の、その書き遺したものを蒐集し、十年が過ぎてもそれを本にしようという編集者がいる。これが高橋新太郎という人の有り様を象徴している。膨大な資料蒐集の先に視ようとしていたものが、きっとここから見渡せるはずだ。




高橋新太郎セレクション1『近代日本文学の周圏』
  笠間書院刊 定価:本体4,200円(税別)
   http://kasamashoin.jp/2014/05/1_28.html


高橋新太郎セレクション2
     『雑誌探索ノート 戦中・戦後誌からの検証』
  笠間書院刊 定価:本体2,800円(税別)
   http://kasamashoin.jp/2014/05/2_24.html


高橋新太郎セレクション3『集書日誌・詩誌「リアン」のこと』
  笠間書院刊 定価:本体3,000円(税別)
   http://kasamashoin.jp/2014/05/3_29.html



『高橋新太郎セレクション 3冊セット』
パンフレットPDF
http://kasamashoin.jp/shoten/takahashishintaro3.pdf






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