「伏字とは何であったのか」

牧 義之

 名古屋大学での院生時代に、私は大学付属図書館で書架整理のアルバイトをしていた。返却された本を棚へ戻す作業の合間に、目に付いた古めかしい本を手にとってはパラパラと見ていた。ある時、スターリン/ブハーリン著『十月革命への道』(昭和3年4月、白揚社内著作集刊行会)という本に出会う。私が驚いたのは、×印の伏字が文中に散らばっていたことに対する物珍しさとともに、全てではないが、伏字の右側の行間へ細かく書き込みがなされていたことである。「国家権力」「ボルシエヴイキ党」といった言葉を書き入れたのは誰か分からないが、その本は寄贈されたものではなかったので、おそらくある時代の勉強熱心な学生か、教員ではないだろうか。

 同じ頃に、日本の戦前・戦中期に行われた検閲について学ぶ機会があったので、伏字と検閲制度の関連や影響関係を研究のテーマに設定した。手当たり次第に関連する文献を集め、様々な形態の伏字を見ていく中で、一つの法則性に気がついた。それは、■や●、▲といった塗り潰された伏字は少なく、多くは○や×、ヽなど余白のある記号が使われていたことである。加えて、伏字は伏せられた元の言葉や文章の字数に対して、省略などはせずに厳密に組まれる傾向もあることが分かった。先の『十月革命への道』は、これらの法則性があったからこそ、読者が記号の数に当てはまるような言葉を推測して、余白へ書き込むことが出来たのだ。塗り潰された記号であれば余白に書き込めないし、字数が厳密でないとどのような言葉が伏せられたのかは分かりえない。

 これらの法則性は、手作業による活字拾いや版組といった、当時の印刷技術上の理由に因るものなのかも知れない。しかし、その結果、読者が伏字を読み解こうとする欲望が誘引されていることは間違いない。ある一定の知識や時間的余裕が無ければ成立しない作業ではあるが、伏字への書き込みは、戦前・戦中期における読書形態の特徴のひとつとして考えられる。

 このような伏字という記号と検閲制度との関連性、あるいは文学作品において伏字が引き起こす問題をさまざまに論じたのが拙著『伏字の文化史 検閲・文学・出版』である。特に第2章から4章までは、これまで不明な部分が多かった「内閲」という一種の事前検閲について、運用開始時期と廃止の要因とを探った部分であるが、この「内閲」が、伏字の定着化に大きく関係していると考えている。ご一読を願いたい。






  『伏字の文化史』牧 義之
  森話社刊 定価4800円+税 好評発売中!
 http://www.shinwasha.com/


Copyright (c) 2015 東京都古書籍商業協同組合