−日本古書通信−
掲載記事
(平成18年4月号)

 

ゆっくり時が流れる店

目黒・流浪堂
二見 彰

 

 店探しをしている時、僕の頭にあったのは、「多数ある立地条件をあれこれ考えるより、その場所を自分は好きか、その場所に自分は愛着が持てるか。」と言うことであった。計算や計画をすることが苦手で合理的に物事を考えられない僕は、観念的に物事を進めるしかなく、「たとえその場所が好条件の立地であっても、そこに愛情がなければどんな商売をやってもダメだ。一度惚れたらその場所と心中するぐらいの覚悟がなきゃな。」と考えていた。その思いは今でも変わらない。僕にとってこの店でやっていることは、商売と言うより「生きかた」なんだなと思う。だから一儲けしたいとか、商売を大きくして実業家になりたいとか思っている人は僕の考えには反対だろう。でも僕は僕だからしかたがない。
 自分で言うのもおかしいが、こんな僕に与えられた唯一の武器が〈直感〉または〈感覚〉であった。いま流浪堂をやっているこの場所も直感で決めた。なぜか一目見たとたん、ここならやれそうな気がした。ちなみに僕の目指している店は、ゆっくりと時間が流れる(時の経つのを忘れる)独特の雰囲気を持つ店、一歩入ったとたんにそこから全く違う世界が広がっているような空間を感じられる場所である。そして、見つけた店舗は駅からそう遠くはないが路地をちょっと入った静かな立地にあり、ここならお客さんがゆっくり時間を過ごしてくれそうな気がした。けっして従来の好立地条件とは言えないが、僕はその所謂好条件と言われている駅近の繁華街や人通りの多い商店街と言う立地は望んでいなかった。たぶん、そのような場所では流浪堂は続かなかっただろうと思う。
 だから店舗立地などはこれが最良と言えるものはなく、各々がやりたい店のカタチや商品コンセプトなどによって条件は変わってくるものだと思う。ネット売りを主とするか店売りを主とするかでも大きく変わってくるだろう。ただ僕個人が思うに、店を出す時には「売る場所」よりも「買う場所」ということを意識したほうがいいと思う。これだけインターネットが普及しオークションなどで個人売買が盛んになると市場仕入れも店買いも減少していくだろう。その時に立地条件として、仕入れが望める場所か、仕入れる為の努力が出来る場所かが重要になってくると思う。自分が愛せる場所、惚れ込んだ場所で頑張れればお客さんはきっと信用してくれると思うし、お客さんも一緒になって棚を作っていってくれると思う。
 独断と偏見でいろいろと書いたが、結局良くも悪くも自分に返ってくる訳だから自分がココだと思う場所で勝負するのが一番だ。人の意見に左右されたり、マニュアル本などを頼って場所を選び失敗しても誰も責任を取ってはくれない。
 店舗ディスプレイに関してだが、「真にお客さんに喜ばれるディスプレイ」は解らない。お客さんは多様化しているし、それぞれに合わせた棚作りなんか出来ないし、それに僕は八方美人な棚を作る気はない。棚を気に入ってくれるお客さんもいれば気に入らないお客さんもいて当然だと思っている。
 僕の棚作りは、これも〈直感〉と〈感覚〉のみである。既成概念に捕われるのはつまらない。だから理路整然とは並んではいないし、本の並べ方も平面ではなくデコボコに並べてある。背が揃っているのが好きではないし、平面だと見逃すところをデコボコにして、本一冊一冊にお客さんの目を止めたかった。宝探しを楽しんでもらいたいのだ。そして、本をどう並べるかではなく、どう飾るかを考えた。本のカバーや背表紙が語るモノは多大だと思うし、いつもそれをどう生かし、どう見せるかを考えている。買取の際にも僕は、お客さんの本で店を飾ってもらうと言う意識が強い。
 もっと言えば僕のディスプレイは、〈空間〉をどう作るかだ。一歩入ったら別世界を感じる事の出来る〈空間〉。棚作りをどうこう言うよりも、雑貨だったり、楽器だったり、音楽だったりを本とどのように絡めていくかを考える。僕はいつか、そう言う〈空間〉の中で、視覚・聴覚・触覚を刺激しうる想像力豊かな古本屋が作れたらすごく楽しいだろうなと思う。
 つまり、本をただ売るだけならチェーン店となんら変わらないし、僕の考えるお店とは、ただ商品を売るだけでなく、そこで過ごしている時間もお客さんに買って貰っている訳で、その無駄には出来ない大切な時間をこの店で過ごせてよかったと言われるような〈空間〉を持っている場所である。
 最後になるが、店舗立地もディスプレイも一番重要な事は、〈直感〉と〈感覚〉を信じる勇気と、実行する決断があるかどうかだと思う。

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