−日本古書通信−
掲載記事
(平成18年6月号)

 

ブームの光景

 東京青山・日月堂
佐藤真砂
http://www.nichigetu-do.com/

 

 昨今、古本屋がブームであるという。実に喜ばしいことであり、これは面白いことになるに違いないと、つい最近までそう思っていた。堂々として築かれてきた古本屋の王道という大樹の幹に、他所からの価値観という枝葉が加われば、古本屋は多様化し、売れ筋も多様化し、従って市場にはこれまで出てこなかったようなモノまでもが出てくるようになり、しかもそれぞれにちゃんと札が入って、売り手も買い手も、そしてお客様もみんなバラ色!…などと思い巡らせていたからなのだが、しかしこれは大いなる誤算だったようだ。
 古本屋がブームになって起こったことというのは、古本に関する情報と古本屋というもののイメージ――ごく最近まで、どんな時代にもほとんどブレることのなかったそれ―が、ここ数年で急激に「消費されるもの」へと変わってしまったということである。その結果、最近の市場では、「売れ筋」と目される品物に札が集中し、またその変化のスピードもますます早まり、急騰の度合いと下落までの時間の様子をグラフに描けば、軒並み鋭角をもって示されることになるだろう。
 古本屋がブームとなり始めたのと丁度同じ頃から、活字離れがいわれる一方で新刊書のベストセラーの部数がどこか尋常ではないと思えるような規模になってきた。広告に踊る文句は「たちまち重版!」「品切れ続出!」「100万部突破!」といった威勢のいいものばかり。おそらくはいま、本は売れれば売れるほどますます売れ、みんなが読んでいるからさらにみんなが読む、流行のアイテムのひとつなのだろう(もっとも戦前の本にしろ重版=宣伝と企画してクレジットしたのではないかといわれる本もあるから、何もいまに始まったことではないのかも知れないけれど)。例えば古書の世界でも、ネット販売をしている同業者は「動機が何であれ、探しているそのものズバリの本しか売れない」と口を揃えるし、例えば影響力の高いブログで話題になった一冊の本を、ブログを見た人たちが一斉に探し出す、といった話も伝え聞く。
 おそらく、という留保つきではあるけれど、マーケットの側は私たちが考えているよりもずっと狭い幅なのかを、しかも猛烈なスピードで流動しているのではないだろうか。これに関してはもうひとつの留保、いまはまだ、という点をも考えてみたくなるが、彼ら彼女ら自身で何かを発見し、蛇行したり穴を掘り始めるようになるまでには、まだまだ長い道のり、即ち時間が必要ではないかと思われる。
 こうした前提のもと、自分自身の行き方を考えてみると、どうにもさっぱりこれにはついて行けないのである。市場という競争原理のもとで品物を集めるとき、一体何が一番優先されるモチベーションなのかというと、私の場合は「売れるか売れないか」よりも「いいと思うか、そう思わないか」が先に立つ傾向が強いからだ。よりよいと思うものを真っ向勝負で買い、その上でまだ売れ筋までを仕入れようという資金的、というのはつまり精神的な余裕はないし、その順序を逆にしてまで古本屋を続けることもないかと、どこか諦めにも似た思いがある。そうした者からすれば、売れ筋を追いかけるということは単に「売れ筋の商品を仕入れて売る」ということではなく、消費する側に合わせて常に自己の価値観を更新していけるかどうか、ということを意味するのであり、それについてはもう全然お手上げ状態なのである。
 さて。では一体どこに、私の生き延びる道があるのだろうか?…思えばこれまでも、常に売れ筋から逸れ、軸をずらして王道を踏み外し、荒野のなかに獣道を見出してはようやく歩き続けてきたというだけのことだ。荒れ野にも人の手が入り、野生のものどもの一時の棲家さえ見出しづらいこのご時世とはいえ、残されているはずのかすかな道を探し歩いていくより他に仕方ないと、やはり諦めにも似て思うのだ。徒手空拳の道行きならば、せめて胸には一点の灯を宿し――その光源の在り処こそいま、私が痛切にもとめるものなのだ。

 日本古書通信社: http://www.kosho.co.jp/kotsu/

 

©2006 東京都古書籍商業協同組合