『昔日の客』 復刊秘話

3年前の9月、恵比寿のライブハウスで熱演したロックバンド、カーネーションの打ち上げ会場でのことでした。ボーカルの直枝政広さんとは、音楽と野球と酒以外の話をしたことがありませんでしたが、ひょんなことから話題が古本の話に転じました。幻の一冊と言われてる本があって長年探していると語る直枝さんに、何と言う本か訊ねました。「昔日の客」という答えにすかさず「それは僕の親父の本で、あとがきは僕が書いてるよ」と話すと、彼は目を丸くして絶句しました。僕も思い掛けない話に驚き、二人は立ち上がって握手したまま言葉を失って固まってしまったのでした。

平成22年 夏葉社
平成22年 夏葉社

翌週、高円寺にある老舗のライブハウスの楽屋に彼を訪ね、父の「銀杏子句集」をプレゼントしました。程なく彼から電話で相談を受けたのです。執筆中の本のあとがきに僕らの奇遇の話を書き、父の俳句を一句引用したいとのことだったので、どうぞ自由に書いて欲しいと答えました。

「宇宙の柳、たましいの下着」という著書が刊行されたのは、その年の11月末でした。直ぐに毎日新聞の書評欄に取り上げられ、それを読んで驚きました。あとがきには関口良雄の「昔日の客」の話も出て云々と書かれていたからです。書評であとがきに触れることは珍しいのではないでしょうか。

暫く後、大森の馬込文士も通ったのではと思われる渋い味わいの店で、直枝さんとマネージャーの横尾さんと三人で酌み交わした時、私は「昔日の客」の復刊が夢であることを話しました。すると二人が、その夢、実現させましょうよと言ってくれたのです。

二人が声を掛けてくれて、「昔日の客」復刊の応援団が西荻窪の居酒屋2階に集まってくれました。終電まで話が弾み、希望が膨らみました。

翌年、西荻ブックマークという会で、「山王書房物語」と銘打ったイベントが催されました。岡崎武志さんと僕の対談形式で二時間、父のこと、昔日の客のことを語るというものでした。何と父の三十三回忌を迎える年に、そのイベントは第33回だったのです。父の遺影を横にして、私にとっては、これこそが父の三十三回忌の法要だと思えました。天誠書林、石神井書林、音羽館といった古本屋さん達、荻原魚雷さんに加え、映画プロデューサーの越川道夫さんもいらして下さり、楽しい法要となりました。父の愛唱した中野小唄を歌わせて頂いたところ、皆さんが手拍子を打ってくれました。

私は古本屋を継ぎませんでしたが、中野小唄は継がせてもらいました。父からもらった財産だと思っています。中野小唄を歌う時、父は私の限りなく近くにいるように思われます。父もまた、生前同じように自分の父母を近く感じながら歌っていたのだろうと、この年になって思えて来たのでした。

父が癌で余命1、2ヶ月との宣告を受けたあの時、私は祈ったのでした。せめて私の手帳の最後の頁まで父を生かして下さい、と。フリーのダイアリーには途中までしか日付を入れてなかったので、それが何日となるかは分かりませんでした。父は5ヶ月近く延命でき、その間にいろいろなことを語り合え、山高登さんと本の装丁や口絵の打ち合わせも出来たのです。そしてまさに、私の手帳のちょうど最後の頁の日に、父は59歳であの世に旅立ったのでした。

1年後、完成した「昔日の客」を読んで下さった尾崎一雄先生から、母は聞きました。日本エッセイスト・クラブ賞に推薦して下さったと言うのです。残念ながら賞の規定で、作者は生きてなければなりませんでした。ですが母は、先生が推薦して下さったことに感激し、嬉し涙が止まらなかったのです。その日、先生のお住まいのある下曾我から国府津までを歩いている間ずっと、父の魂が一緒にいるのを感じたと母は言っておりました。父もきっと嬉しくて飛び回っていたに違いありません。

そして今年の6月、夏葉社から一通の手紙が届きました。たった一人で出版社を立ち上げた島田さんの真っ直ぐな思いを受け、早速お会いして話しますと、目指す復刊本の形がお互いにほぼ同じように見えてきました。まさに運命の出会いだと感じました。今から考えますと、「昔日の客」復刊のために私が出版社へ出向かなかったのは、この時のためだったのでしょう。かくして32年振りの復刊を迎えられたのです。発行日も同じ10月30日となりました。あとがきはお前が書けという父の遺言を思い出しながら、2度目のあとがきを書きました。

復刊された「昔日の客」が神保町の本屋さんにも平積みされてる頃、神保町シアターでは「森崎書店の日々」という映画が上映されていました。実は、森崎書店のデスクに置かれた初代「昔日の客」が銀幕一杯にアップされるカットがあるのです。そして野呂邦暢さんの「小さな町にて」の本の「山王書房主人」の頁もアップで共演していました。

映画館を出て、三茶書房の前に立ちますと、ウィンドウに一枚の版画が飾られています。山高登さんの描いた「大森曙楼旧門附近」です。「昔日の客」の口絵の続きで制作された版画には、右手に花束、左手に風呂敷包みを持って歩いてる山王書房主人がいるのです。復刊された本が街に並ぶ日に、偶然三茶さんがこの版画に取り換えたというのも不思議な話でした。

先日、駒場の日本近代文学館を夏葉社の島田さんと母と三人で訪ねました。父が寄贈した本達、上林暁文学書目と尾崎一雄文学書目に登場した彼等と共に、焦茶色の「昔日の客」がひっそりと棚にありました。嘗て父がこの地下室で彼等との再会を約束したのだと思うと、感慨深い気持ちになりました。間もなく、その隣りに、新たに寄贈された萌黄色の「昔日の客」が並ぶことでしょう。いつの日か、息子達を連れて再訪したいものと思いながら、文学館の森を後にしました。

関口 直人

『昔日の客』 復刊秘話ページのトップヘ戻る

SEARCH 古本屋を探す

INFORMATION 即売会最新情報

『昔日の客』 復刊秘話 < コラム < 東京の古本屋 | 東京古書組合ホーム

  • BOOK TOWN じんぼう
  • あなたの街の古本屋
  • 東京古書組合 東部支部
  • 文京の古本屋