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古書界を長く見つめて想う悔いのない自伝
少しの仕掛と趣向
 

古書界を長く見つめて想う悔いのない自伝

神保町・蒐堂 山田 孝

 私は学校では電機工学を学んだ。八箇所程の会社に入社して発展途上の世界を学び、後事情あって古書への道に入った。 昭和四〇年頃、特価本は全盛を極め、今も続く古本祭りの主役的存在で 間に合わない程良く売れた。店の中央は全て平台で数十冊を積んで帯紙をつけて、定価○○円のところ○○円と安い値段を表示し、 複数の倉庫を持ち、補充に車で往復して忙しかった。やがて特価本から少しづつ初版本・限定本を置くようになり、純文学作家の初版本は安い価格をつけると飛ぶように売れて、やがて店舗の移転を機会に古書部を設けて、デパートでの古書即売展へと幅広く販路を増やして全て成功して面白くてしょうがない程であった。

版画を処分するお客さんと出会った事で創作版画、浮世絵とレパートリーは広がった。今でも古書店街は靖国通りの西側に集中して、東側には当時は山田書店だけで条件は決して良くはないが、宣伝と努力もあって次第にお客さんの来店が増え、現在のビル完成を期に私は古書から離れて浮世絵・現代版画専門店として独立した。目録も次第に充実して全国やがて海外へも知られるようになり、今では考えられないような時代、目録で残っている品を全部欲しいと百%売れた事もあった。初めて扱う品と未知の世界へ値段を付ける愉快さは楽しく夢中だったのを今でも詳細に覚えている。

文庫本も百科辞典も全集も良く売れた時代の背景には、アナログ主流で重い、大きい物が喜ばれた。私は若い頃に腰の手術をしたが年と共に軽くて好きな版画等紙類を扱うようになり腰への負担が無くなったのは運が良かった。今でこそ海外の業者も強気で買って行く新版画の川瀬巴水も私が版画に興味を持ち始めた頃は独り占めのように手に入り、特集まで出した目録もある。現在ではとても手に入れるのは難しくなったがタイミングの良い時代に扱っていて本当に良かったと思う。

  昔、市場では入札に二番と言って落札値段に一番近い札を入れた人に景品を付けて並んでいたのも面白く、又、高価な限定本等がセリにかけられて勇ましく熱気の入った光景も思い出すが、私は人前で大きな声を出して落札するのは苦手だった。お客さんからの注文で値段はまかされていたので夢中で声張り上げて落札、妙に興奮したのを忘れない。私は小心者で弱気な性格と思っていたが、この世界に入って昔の体験から得た能力がしっかりと心に根付いていたのが幸したのだろう。儲ける事よりもいかに面白い出会いがあるかという仕入れの楽しさが先行し、安い給料にあまり不満は無く、こんな面白い仕事に出会えた喜びは金銭に変えられないものであった。

父は世間では永井荷風本のコレクターとして、又酒も飲まず趣味は古書という面白くも無い人間で、仕事については何も教えてもくれない堅物の人だったからこそ自分で未知の世界へ挑戦する機会を持ち、まさしく失敗は成功の基を地で行けた。
 
さて経験四〇年以上の古書版画の世界から、神保町では誰もやっていない面白いというより好きな趣味で商売をやってみようと、店内はとにかく面白いものなら何でも置いて売れなくても自分が楽しもうと、かなりの変身に躊躇は無く、お客さんが必ず喜んでくれると確信して今の店をオープンした。経験は不思議な力を与えてくれて、市場やお客さんから、又古書業界以外の業者からと全て勘で仕入れたが不思議と面白いように商品が入手出来た。自家目録も止めたが困る事も無く口コミで知られるのにあまり時間は長くかからなかった。新聞、雑誌、テレビ等の取材が増えて、面白い事にテレビドラマで店内を使用したいので三日程借りたいと要請された時は驚いた。お客さんが一通り店内を見て帰りがけに「どうも有り難うございました」と声をかけてくれるのは古本を扱っていた時には聞かれない言葉だった。

買ってくれなくても、こんなに嬉しい気持ちにさせてくれる事はない。店には蓄音機、真空管ラジオ、SPレコード等は元来好きなので置いてるだけで癒されるが、私とほぼ同年輩の方がそれらを眺め、昔の良き秋葉原時代への回顧に時のたつのも忘れて話が弾む。対話の少なくなったお客さんとの交流は商売を忘れ、懐かしい思いで共に喜びあえる現在、売上上々で店員を使えるような店ではないが、経験から学んだ知識や方法を未知の方へ伝えていく喜びと商売の楽しさを更に充実させて感謝できる毎日を続けたいと思うこの頃です。


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