文京の古本屋

読みもの

文の京(ふみのみやこ)に、学術書とこだわりの古書屋。

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明治時代から古書.専門書を中心に営業をしております我が文京支部では、古書業界外にも名が知られた著名な古書店主を多数輩出致しました。こちらではその諸先輩方の人生を振り返りたいと思います。

第六回:文の都の古本屋が語る

○参加者

  • 横川泰一(大学堂書店)79歳
  • 小沼良成(文生書院)71歳
  • 成川栄樹(伸松堂書店)67歳

○司会

  • 斎藤経一(琳琅閣書店)
  • 黒澤宏直(黒沢書店)
  • 金澤誠(泰雲堂書店)

○東京組合機関誌部

  • 安藤正伸
  • 藤井孝雄

安藤 本日はお忙しいところ、誠にありがとうございます。この度は『古書月報』の連載企画「大先輩が語る」の第六回ということで、文京支部の皆様にお集まり頂きました。初めに自己紹介を兼ねて、お店の歴史や現在の営業形態などをお聞かせください。

横川 昭和七年に親父が東大前で店を始めました。私は学校を出てから神田の長門屋書房で約四年間修業し、親父を手伝うようになったのが昭和三十五、六年です。当時は学術雑誌のバックナンバーや報告書がよく売れた頃で、私の主な仕事はそういったものを集めた目録販売でした。コンピュータの普及によってバックナンバーなどの需要は徐々に少なくなり、何度か即売展もやりましたが、思い切って商品を一般書に切り替えることにして、三十年程前には本郷三丁目に支店を設けました。やがて本店は立ち退きになり、今はネット販売も行わず店売り一本です。

黒澤 支店というのが現在のお店ですね。

横川 あのビル(ベルショップ本郷)が建ってから一年ぐらい空きがあって、家内が「あそこでやってみようよ」と言ってきたんです。表にワゴンを五、六台出したら初日から何十万も売れて本当にびっくりしたね(笑)。

黒澤 気になっていたんですが、あのワゴンの置き場所は別に賃料がかかっているんですか。

横川 いや、あそこにワゴンがないと奥に店があることがわからないから、置かせてもらうのを条件に借りたんだよ。

斎藤 本店があった頃は人を雇っていたんですか。

横川 家内と二人でやってましたね。支店を設けた頃はもう父親も亡くなっていたから、夫婦でそれぞれ店を持ってるような感じで。

小沼 大学を昭和四十二年に卒業して、すぐに文生書院に入りました。バックナンバーと様々な資料が主力商品ですが、バックナンバーは死に絶えつつある分野ですから非常に苦慮しています。父親の代から目録販売が中心です。

成川 私も昭和四十七年に大学を卒業して、そのまま店を手伝い始めました。昔から法律関係が中心で目録も出し続けています。ネット販売も行っていますが、なんとなくやっているだけで「日本の古本屋」にも加入していません。皆さんが言うようにバックナンバーは本当に売れなくなったし、これからも売れないでしょうね。

小沼 判例がネットで見られるようになってからは、最高裁しか判例集を出さなくなったもんね。判例集なんて基礎中の基礎だと思うけどな。

成川 統計も判例もネットで見られるんだからわざわざ販売する必要もないし、誰も買わないですよ。

斎藤 ネット販売はどなたがやっているんですか。

成川 ずいぶん前に自店ホームページを作って私と家内の二人でやってます。商品はデータベース化してあるので、日本の古本屋」に入ることも考えてます。

斎藤 文京支部は昔から文求堂・田中さんや弘文荘・反町さんといった有名な大先輩がいらっしゃいますが、そういった方々は支部に影響を与えてきたのでしょうか。

横川 支部に対してというのは特にないでしょ。森井さんみたいに個人的に反町さんのところで学ぶような付き合いはあっただろうけど。

斎藤 反町さんが支部総会に来ることもあったんですか。

小沼 確固たるビジョンを持った方だから、自分の意見があるときは来たよ。だけど僕が業界に入った頃は文京支部だけでも七十名以上いたなんて、今となってはとても信じられないな。

横川 今は赤門ロイヤルハイツになっているところに「白十字」っていう立派なレストランがあって、あそこで総会をやったよね。あとは本郷三丁目の「いろは寿司」とか蕎麦屋の二階も使ったことがある。

斎藤 皆さんは文京の支部市だった赤門会をご存知ですよね。

横川 湯島の道具会館っていうところが会場でね、バレーボールコートぐらいの板の間があった。親父に頼まれてよく出品に行きましたよ。あの頃は足立区とか荒川区の方からせどり屋がやってきて、建場から抜いてきた統計書なんかを本部じゃなくて本郷に持ってくるんだ。最初は廻し入札だったんだけど、塚田(正一)さんが「これじゃ効率が悪い」と言って置き入札に変わってね。置き入札は当時としては画期的な試みで、赤門会から広がってどこの交換会でもやるようになったんじゃないかな。

小沼 僕らの一世代前の話だよね。まだ学生だったから荷物の引き取りに行ったことぐらいしか記憶がない。

黒澤 廻し入札だったということは、本口の出品は少なかったんですか。

小沼 大抵の人は自転車やスクーターで来ていたからね。トラックを借りでもしない限りは十本、二十本なんて荷物は出せないよ。

安藤 細かく切っても値がついた時代でもあったんでしょうね。

斎藤 赤門会が資料会と合併したのはいつ頃ですか。

横川 昭和四十六年だったかな。道具会館が使えなくなってから会場が本部に移ったんだけど(1)、旧会館が落成後に赤門会は資料会と一週ごとに交代で開催されるようになったんだよね(2)。赤門会は本郷の支部市だから資料的なものが多く扱われていて、「同じ様な市会を二つやるよりは」と資料会との合併が計画されたわけです。
 当時の私は柴屋(善郎)さんと一緒に支部長だった杉原(彰)さんの下についていたんだけど、杉原さんの家で何度も話し合ったり、井上(周一郎)さんのところに相談に行ったりしてね。

斎藤 支部内で存続か解散かで意見が割れていたんですか。

横川 そういうわけでもないけど、資料会の方にも合併に反対する人はいたから。「両方あった方が切磋琢磨して良くなる」とかさ。

成川 でも同じ様な市会だし、両方に参加している人も居たので。

安藤 支部市が無くなってしまうことに対する反対はなかったんですか。

横川 運営が大変だったから、負担を無くそうっていう考えの方が多かったんじゃないかな。

黒澤 でも資料会と競合するような特色のある市会を支部で運営できるのはすごいことですよ。

小沼 どの店も商いの手段が一緒だからこそ可能だったんだろうね。在庫は倉庫に置いて店売りではなく目録販売、扱う商品はそれぞれ専門性を持っている。もちろん神田にも早稲田にもそういう商売をする方はいるけど、本郷みたいに一極化している地域は他にないから、自ずと赤門会にはバラエティに富んだ本が集まってきたんじゃないかな。

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(1)昭和三十九年に本部へ、洋書会開催日の午前中に赤門会が開催されていた。

(2)昭和四十二年、交換会は曜日制となり、資料会と交互使用。赤門会は一、三週の開催に。

斎藤 赤門会が解散した後で、支部内のつながりが弱くなってしまうことはありませんでしたか。

横川 それはないよ。資料会は特にそうだろうけど、本部に出入りしている人は多いからね。

成川 だからこそ合併しようって話にもなったんじゃないかな。

横川 みんな目録販売で独立しているからさ、集まって話し合う機会がまずないんだよ。せいぜい総会ぐらいじゃないかな。

小沼 でも昔はよく旅行に行ったよね。

成川 仕事を始めた頃は若手が十人ぐらい集まってしょっちゅう飲んでましたよ。小沼さんとはあまりお目にかからなかったような気がしますが、弟さんとはよく顔を合わせた。

斎藤 文京は市場もないし支部の仕事が少ないですから、自分の商売に没頭できるという大きなメリットがあると思うんですよ。

小沼 地理的にも狭いからね。中央線や南部なんかは集まるのも大変だよな。

横川 文京のすごいところは価格認定証の作成を始めたことだよ。それだけ官公庁や大学に納めていた人が多かった。他支部から認定書を欲しいと言われることもあって、本部が用意するようになったのは文京よりも後なんだから。

小沼 認定書が支部の収入になっていた時代もあったよね。

安藤 「文京の古本屋」というホームページはとてもよくできていると感じましたが、どういう経緯で作られたのでしょうか。

斎藤 活動が少ないのでお金が余るんですが、何かしら支部を宣伝した方がいいと思って立ち上げました。店舗の紹介や買入のきっかけ作りが主な目的で、ネットに詳しくない人でも更新しやすい設計になっています。

小沼 棚沢(孝一)さんが慈愛病院の冊子に書いていた記事も載ってたよね。

安藤 「文の京(ふみのみやこ)の古本市」は支部主催のイベントなんですか。

斎藤 あくまで有志の催事です。何年か前に東大の一三〇周年にあわせて文京の古書店街をアピールしようという企画が持ち上がったんです。その時に区役所が間に入ってくれて、物販はしませんでしたが展示を行いました。それから即売展をやってみないかという話に発展して、アンテナショップになっているスペースを借りたんです。
 ただ公共機関なので外に即売展の案内看板も出せず、区役所に用事がある人しか来ないような状態で集客は芳しくなかったんですよね。

小沼 本来は地下鉄の連絡通路になっているスペースを借りようと考えていたんだよね。あそこなら二百坪ぐらいあるし、雨の日も関係ないから集客が見込める。まずは実績を作る必要があるっていうのでアンテナショップから始めたんじゃなかったかな。

黒澤 実際に地下で即売展を開催する話はだいぶ進んでいて、棚の業者を選定する段階まで至っていたんです。しかし東日本大震災の影響で節電が実施されることになり、エスカレーターが止まってしまうというので最終的に断念しました。
 前に横川さんから後楽園の近くで古本を販売していたというお話を伺いましたが、それはいつ頃でしょうか。

横川 昭和四十年代だと思うけどね。本郷と神田の人が集まって、朝早くから屋台を並べたんです。月曜日の朝にNHKで中継してくれたからよく売れてね、テレビの力はすごいと思ったよ。あの頃は競輪場もあったし、野球帰りの人が大勢立ち寄ってくれたんです。
 後楽園では一週間で五十万以上は売れたはずだけど、それまでは一般書がこんなに売れるとは思ってなかった。さっきも言ったように、バックナンバーがダメになってから一般書を扱うようになったんだけど、資料会だけじゃ商品を揃えられないから高円寺や北部なんかにも通い始めてね。

斎藤 でも専門書はもっと売れたんですよね?

横川 もっと売れたよ(笑)。目録を出すと「このページのここからここまで下さい」なんて言われて、いい時代だったね。

斎藤 皆さんが業界に入られた頃から市場の様子もずいぶん様変わりしていると思いますが、現在の市場を見てどんなことを感じますか。

小沼 昔の建場からよく出ていた「マル秘」「極秘」みたいな資料は本当に少なくなったよね。

斎藤 そういうものは今も存在するんでしょうか。

横川 あるんだろうけど、部数はかなり制限されていると思うよ。国が情報漏洩に対して相当敏感になっているから、最低限しか配布しないんじゃないかな。個人情報も厳しくなって名簿もダメになっちゃったし。

小沼 だから情報は官公庁のデータベースに閉じられてしまって、プリントとしては出てこない。アメリカみたいに大抵の情報は五十年経ったら公開するような法律も整備されていないよね。最近は成川さんが扱っている司法資料もあんまり出てこないでしょ?

成川 官公庁が紙の資料を出しているかどうかは別として、そういうものを集める本屋がいなくなったっていう面もあると思いますよ。昔は官公庁の資料を掻き集めた本屋がいたけど、今は無いようです。官庁も企業も必要なくなったものを本屋に払い下げしていた時代があったけど、横川さんが言われたように色々とうるさくなったので、自分の所の印刷物は製紙工場に直接出すという話も聞いた気がします。

斎藤 そうなってしまうと、例えば百年後には何が起こったのかわからない空白の期間が出てきてしまうかもしれませんね。

小沼 「秘」であることは構わないけど、一定期間が経過したらしっかり公開するシステムを作らないとダメだよ。中途半端なのは本当によくない。

斎藤 これまで古本屋は表に出ない事実を明らかにするような資料を見つけてきたし、そういう営みはこの仕事の醍醐味と言えると思います。一般書しか扱えなくなってしまえば、面白味も薄れてしまいますよね。
文生さんは出版もされていますが、そちらはどうですか?

小沼 うちの出版は細々としたもので、十年で百部売れたらいいという程度の規模ですよ。一つの部門に注力してしまうと、そこが上手くいかなくなったときが大変だし、何が当たるかはこっちでは予測がつかない。だから間口を広げるという意味で取り組んでいます。誰も手を出さないようなニッチなものばかり復刻してるからね。

斎藤 出版に限らず、間口を広げるための試みはとても重要ですよね。そういう意味では、我々の世代は先輩方に比べて労力を惜しんでいるのかもしれない。今は東京の市場で事足りているけれど、昔は競うように地方へ行ったとか、海外で日本の洋書屋さんが鉢合わせたなんていう話も聞きます。売れた時代だったからそうするだけの意味があったと言えばそれまでですが、今だってもっと努力できることはあるはずですよね。
 まだ評価が下されていない領域に価値を与えられるようでないと、これからの古本屋はかなり厳しいのではないかと思っています。

小沼 自分で「これは!」と思って積極的に宣伝しても、当てが外れることはよくあるけどね(笑)。

斎藤 でも古典籍を扱っていると、誰も価値を定めていないものに値段を付けることが我々の仕事だと強く感じるんですよ。江戸時代の本であっても現状では数千円にしかならないものはあります。けれど「値段にならない」からと言って捨ててしまえば、「その本がいつか評価されるかもしれない」という可能性も絶ってしまうことになりますから。

安藤 最後に皆さんから若手に向けて、今後の商売や市場運営などに関してメッセージを頂けますか。

成川 とにかく一生懸命に身体を動かすこと、それぐらいしか言えないよ。これからの商売は大変だろうし、色々と工夫も必要だろうけど、何よりも各々がしっかりと動かなければ本も集まらないし、市場も活性化しないからね。

横川 「楽しいから古本屋をやっているんだ」と思うしかないんじゃないかな。古本屋の毎日はそれなりに変化があるからさ、いつでも新しい気持ちで仕事に取り組めるじゃない。もちろん楽しさだけじゃ食っていけないし、この歳になってもうやめたいと思っちゃうんだけどさ(笑)。

小沼 横川さんが言われたことが一番大切ですよ。これから大儲けなんか絶対にできないからね。どこに楽しさを見出すか、それしかない。その上でどうやって生活できるレベルまで持って行けるかってことだけど、それがわかれば苦労しないよね。

斎藤 ある人に「古本屋は六十過ぎてからが楽しい」って言われたんですよ。体力的にはきつくなるけど、それまでに蓄積した知識で商売がもっと豊かになるんだろうなって。

成川 でも昔は高かった本が売れなくなるのは本当につまんないよ。「せっかく苦労して覚えたのに!」って(笑)。

小沼 結局これだけ世の中の変化が激しいとさ、必ず成功する方法なんてものはないんだよな。

成川 うちらみたいな年取った人間に未来のことを聞いてもしょうがないよね。繰り返しになるけど、とにかく一生懸命に動く、それだけ。

安藤 本日はお忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました。

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