住吉
『永楽大典』は皇帝が読むものということになっていますが、結局は巨大な記念碑のような作品です。永楽帝の父である洪武帝が定めた「洪武正韻」という辞書の音韻順に本を束ねた、いわば百科全書のようなものと言われていますが、こういう書物を作ろうとする発想は日本人にはなかなか理解が及びません。
高橋
最近は特に我々のような書物を研究している人間が「中国人はこうなんだ」と言ってしまいがちなんですが、なかなかそう一筋縄にはいかないですよね。
小沼
同源という観点からはどうでしょうか。
高橋
やはり我々は中国の文化の中に組み込まれていると思いますよ。
住吉
現代は明治以降に成立した文化を強調しがちですけれども、江戸時代から遡るほどに、中国の文化圏があって、その端に日本文化があるというイメージが強くなっていきます。ただそういう立場から様々なことを成し遂げた事実こそが重要なはずです。
高橋
だからこれからの研究にとって最も大きな課題は、日本の写本文化を築き上げた人々―豊かな学問がありながら、ほとんど無名の人物たち―が中国をどう認識していたのかを突き止めることでしょう。そういったことがわかってくれば、中国に対する見方が大きく変わってくるはずです。 私たちは古い時代の人々の感覚をあまりにも理解してない。何かの古典を読んだ場合に、書かれている内容をそのまま当時の人々が考えていたことだと安易に思ってしまう、そう活字文化から教わってしまうんです。けれどもそれ以前の、筆者がどんな気持ちを持って本を書いていたのかというような視点から思考を組み立てる回路がすっぽり抜け落ちている。そのため中世以前の人々の精神文化を理解することがとても難しい。それにもっとも近い手段が書誌学だと思うんです。だから本当はもっと大きな枠組として書誌学を捉えなければいけないのですが、なかなか世の中の人にはわかってもらえない。特に専門家がわからないんですから一番こまりますよ。
小沼
日本でもこのところようやく電子書籍の気運が高まってきましたが、ビジネスモデルとして成り立つには相当時間がかかりそうです。一方で紙の本に対する業界の態度もあやふやで、書籍の未来が一向に見えてきません
高橋
デジタル化に関しては専門家だけではなく、本に対して深い造詣を持った人をもっと組み込まなければ砂上の楼閣という気がしますね。
小沼
しかし私たちの組合にはデジタル化のみならず、色々な面において危機感を覚えている人が大勢います。今日先生方から教わったことはまさに目から鱗でしたが、多くの同業者にも書誌学を知ることで、今後を生き延びるためのヒントを掴んで欲しいですね。
住吉
私たちも、書誌学を少しでもわかりやすく伝えるために様々な表現を考えています。例えば「目録解題」という形があります。これは最近斯道文庫で出した「浜野文庫」の目録解題で、私や高橋さんも補助的に関わりましたが、すでに文庫を退かれた大沼晴暉先生がほぼ一人で作り上げられました。中身を見れば誰にでも使えるようなオーソドックスな分類目録の形式となっていますが、書き表す以前の作業が普通の目録とは全く異なっているものと考えています。しかし実際に著しい違いが目に見えて現れてくるわけではないんですよね。それぞれの本に対して少しずつ言葉を費やしており、専門家が読めば色々と想像が膨らみますけれども、単にこの記述だけを見て書かれていることを理解するには、相当な知識と経験が必要になってしまいます。残念ながらやはり、書誌学的な良識と一般的な学術知識との間に、大きな溝が横たわっています。
小沼
人々が書誌学と触れあえる接点を作らなければなりませんね。
住吉
はい。ただ、今は誰にでも伝わりやすいのがよい学問だということになっていますが、ある地点から先は、実際に足を踏み入れてみないと様子がわからないことは厳然たる事実で、あまりそこから離れてはいけないようにも思い、悩んでいます。
小沼
最近韓国のパジュ出版都市を視察したのですが、向こうには古本屋がほとんどないんです。新刊書店も大型チェーンばかりで、韓国の文部科学省が各地域に書店を作るための補助金を出し始めたそうです。つまり人々と本のコミュニケーションが生まれないことに危惧を感じている。パジュには二百の出版社が集まっていますが、彼らは頻りに「文化を守るためには古本屋を作らなければならない」と言っていました。
高橋
私たちはさも誰にもわからないことを研究して満足しているように思われがちですが、書誌学というのはもっと大衆的なところを掘り下げようとしている。それを世の中に伝えてくれるのは古書業界の皆さんだと期待しているんですよ。
小沼
そう仰って頂けると大変勇気づけられます。とにかく私たちの業界は元気がありませんからね。写本のようなものであればともかく、読書人口も減っている最中に一般書がデジタル化に向かってしまえば、一部の専門的な古本屋をのぞいて大半が成り立たなくなってしまいます。紙の本の価値を高める新しいアプローチを見つけなければと日々模索しているのですが……。
住吉
学生を教えるときでも本を自主的に読んでいるだろうという前提に立ってしまうんです。しかし専門的な研究をするためには「自分で本を買って、自分で読まなければならない」ということを、教える必要があるのだということに最近気づきました。
小沼
先程書誌学は心身を労される大変困難な学問だと仰いました。また先達たちも自分の考えを伝えきれずに亡くなっていくということですが、そのような厳しい道に覚悟を決めて足を踏み入れようとする若い人達はいるのでしょうか。
高橋
耳が痛いですね(笑)。ただあまり悲観はしていないんですよ。 なんと言えば良いのか……。日本では書誌学よりも「鑑定」という言葉のほうが馴染みやすく、また俗っぽい使われ方をしますが、中国では大変厳密な学問を指します。しかるべき訓練を積み、経験を重ね、方法を学んだ人でなければ結論を出せない。私はその鑑定という学問が途絶えなければ良いと思っています。そのためには極端に言えば鑑定家はたった一人いれば良い。ただその鑑定を理解し、それを伝えてくれるような人が多いに越したことはありません。 我々は鑑定をする一人になろうとしている。それは本当に困難なことです。しかしその一人は必ず現れます。だから心配はしていません。一人の鑑定家を作ることも大事ですが、むしろ我々がしなければならないのは、それを理解する周辺を育てる―自分にはできないけれど、書誌学は素晴らしい学問であるとわかってくれる人を増やすことです。もちろん安易な方向に妥協してはいけませんが、鑑定というものに至る道筋をより多くの人に知ってもらいたいですね。 そういう意味では、古書業界には自分が持っている本を見て鑑定眼を蓄えている若い古本屋の方達が沢山いらっしゃいますので、私たちの一番の味方はやはり皆さんだと心強く思っています。
小沼
温かいお言葉をありがとうございます。私たち古本屋にとっても先生方の研究が進むことで得られるものはとても大きいと考えています。今後とも様々な面で交流を深めていけたらと心から願っています。 今日はお忙しい中、誠にありがとうございました。
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