理事長がゆく

「和本リテラシー」の回復を 九州大学名誉教授 平成22年度文化功労者 中野三敏氏

小沼
ところで、日本で一般大衆に本が行き渡るようになったのはいつくらいからでしょうか。
中野
十七世紀の末には一般向けの本が殆ど出揃うくらいではないでしょうか。十八、十九世紀となると、ますます増えていきますね。
小沼
それは平仮名の発明などにも関係がありますか。
中野
これから申し上げることは、確たる証拠があってのことでないのですが、 まず、今まで七〇〜八〇%と言われていた江戸時代の識字率の高さを見直した方がよいのでは、と考えています。といいますのも、明治三十三年、小学校令の施行に伴い平仮名が一音一字に限定され、変体仮名、くずし字をやめてしまうのです。その理由は、当時国民の九割は教育が尋常小学校止まりだからです。尋常小学校というのは四年生ですから、たった四年間しか学校教育を受けていない。だから一音一字にするというのです。ならばその九割の国民は変体仮名が読めなかったのではないか、と思いました。 「昔の人は仮名がふってあればみんな読める」と言われていましたよね。寺子屋で読み書きを教わる、というのは文書の書き方を教わるということで、ちょっとした訴え事がある時に実際の文面は誰かが書くとしても、最後に署名だけでも自分で出来るように、とそういうことだったのではないでしょうか。それを、みんなが読める、と早とちりしてしまったのが真相なのでは、と思っています。でなければ明治三十三年にあえて一音一字に限定する意味はないですから。
小沼
それにしても明治三十三年というと、今から百年ちょっと前ですよね、それで読めないというのはショックですね。 気付いたときから勉強すればいいのでしょうけれど、やはり小さい時から教育を受けたかったですね。
中野
おっしゃるとおりです。今のところ明治三十三年以前に国民の九割九分九厘が遡れないという状況です。読めない、と批判がましいこと言いましたが、学校で教わっていないのですから無理もないことです。ですから私は小学生に教えるべきだと思います。何も細かいことをいろいろ教える必要はなくて、こういう文字があったのだ、ということだけでも充分です。裾野は広くないと。成長し、高校大学と、自分の志が定まった時に思い出して「ちゃんとやっておかなきゃ」と思ってもらえるような方向にもっていければよいのです。熟成期間と考えれば、三十年という歳月が長いということはないでしょう。そして小学生に教える為には先ず先生が読めないといけない。 「初等教育の国語の先生は必ずくずし字が読める」ということが、一つの約束事になっていけば、だんだんと回復してくるだろうと思います。四十、五十代の方にこれから新しい字を覚えてください、なんて求めたら、きっと嫌になるだけだと思いますからいいとして (笑)。古本屋さんにしたって、皆さん習っていないものに入っていくのはよっぽどの志がないと難しいですよね。我々のような学者は商売で読めないと成り立たないから読んでいますが、それでも活字が増えてくるとなんだかそれだけでもう十分だ、という風潮になってしまいますね。
小沼
変体仮名はどの位あるのでしょうか。
中野
くずし方の違いもありますが、三百くらいはあるでしょう。でも版本で使われているのはその三分の一くらいだと思います。
小沼
百から三百くらい、子どもなららすぐに覚えられそうですね。ですがそれを教えないというのは、文部科学省の日本文化に対する自信のなさでしょうか。過去のものをある程度わかるようにならないといけないと思うのですが。
中野
先日、角川書店から「くずし字で読む百人一首」という本を出しました。版本と活字を対応させて、自分ひとりでも読めるようになることを目的に作ったものです。まず初級は「百人一首」。文字がなくても、そらんじている方が多くいらっしゃるので一番簡単なはずだと思います。次に中級で「東海道中膝栗毛」、最後は上級の「奥の細道」。こういう類の本は、ゼミの学生向けにはよくありますが一般の書店にはなかなか置いていないですよね。「和本リテラシーの回復」のためにはまず一般の方の目に触れないとどうしようもないことですから。おかげさまで「百人一首」は大変好評で増刷もされております。順番が前後しましたが、すでに上級編「奥の細道」が、そしてこの三月には中級編「東海道中膝栗毛」が発売されます。
小沼
増刷されているということは、それだけ多くの方が興味をもっているということで大変素晴らしいですね。
中野
 自分でいうのもなんですが、この様にしてあれば何も人に教わる必要はないと思いますよ。そして安ければ安いほどいい。色々と工夫を凝らす必要はなくて、ただ写真版とそれに対応させた活字があり、本字さえ間違わなければ、それで充分だと思います。
小沼
一枚の刷り物でも、神社の案内や街の案内など絵と文字が一緒のものは相当ありますよね。
中野
それが木版画、木版印刷の一番の利点だと思います。絵と字を彫るのは、ほとんど同じ感覚でしょう。できれば、大正にやった稀書複製会をもう一度できないかと思っています。あれは彫りと刷りという技術を残す為に民間でおこなったのですが、今なら当然のこととして、国家的におこなうべきだと思います。絵彫りも字彫りの職人も、まだ結構いらっしゃるそうです。手遅れにならないうちにどこかで引き受けてくださる方がいらっしゃればいいのに、と思っています。今は写真の技術が非常に進みましたでしょ。寸法の間違いがなければ写真版でも問題はないのでしょうが、やはり実際に木版で技術まで残した方が絶対良いに決まっていますよね。
小沼
資材は今でも揃いますか。
中野
古い桜の大きな木、というのは難しいかもしれませんが、現代のことです。桜に代わるものが見つかるはずだと思います。それにしても、稀書複製会というのは良くできていますよ。技術の点では師宣の時代よりも稀書複製会の時代のほうがはるかにうまいのではないでしょうか。シャープな線の彫りなどは全然違います。技術は先へ行くほどどんどんあがりますね。
小沼
その間に良い物をみていますからね。
中野
ですからこの様な技術をなくしてしまうことは本当にもったいないと思うのです。
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