専門店の作り方

2016年「古書の日」
トークイベント第二部


2016年の古書の日。ある分野の専門を持ち仕事をしている古本屋三人が集まってのトークが行われた。扱う本が違えば言うことも違う。そこから「専門店」の楽しさと苦労が見えてきた。

(司会:百年・樽本)

狭くしてココだけを見ているとわかる事

小野 神保町で「ビブリオ」という古書店をやっております、小野祥之と申します。スポーツを専門にしていまして、特に野球の本屋さんとして名を知られております。
野球と言うと、本だけではなくて、例えば選手が使ったユニフォームだとかバットやグローブ、それからサインもの、サイン色紙やサインボールといったものを中心に扱っており、半分は本屋、もう半分を道具屋といった感じでやっております。
元々、玉英堂書店という神保町のお店で七年間修行をしていました。そこでは近代作家の肉筆物という専門分野があり、肉筆物、書簡や手紙といったものに対して、目がいくようになり、スポーツの専門分野としてやっていくことになりました。

中村 港や書店の中村と申します。私は文京区大塚で建築史・土木史に関する近代史料のカタログ販売をしております。店もホームページもございません。カタログのみの販売でございます。96年の1月に独立開業しましたので今年でちょうど開業二十年となります。

池田 泰成堂書店の池田と申します。よろしくお願いします。私は武蔵野市境、JR武蔵境駅のそばで事務所を持って、専門は医学の歴史、医学史と近世近代資料というものを何でもやっていまして、まぁ趣味的なものはやらないですが、わりと資料的なものは買うようにしています。神田の秦川堂書店さんで五年修行をして独立して、最初は神田の駿河台に事務所があったんですけど、自宅のある武蔵境に引っ越して、というとこですかね。

樽本 港やさんは、どちらで修行をしたのでしょうか?

中村 私は、神田の湘南堂書店さんというお店で七年間修行をしました。

樽本 そこでどういった分野を担当されていたのですか?

中村 湘南堂さんは何でも屋さんでしたね。店では法律関係からアイドル写真集まで、なんでもやっていました。それからデパート展、古書展、それにカタログも出していましたし、仕入れ、出張買入れもしていたので、本当に色んな事を経験しました。

樽本 それぞれ専門分野を話していただきましたが、皆さんどうしてその専門分野に入っていったのですか?小野さんは野球の本に?

小野 野球の本は最初から扱っているんですけど、その前に代々木で独立した1998年は学習参考書の専門店をやっていたんです。当時ネットがまだ主流ではなくて「これからインターネットが来るぞ!」という時代でした。そこで「本当に売れるのか、売れないのか」が気になって、独立する前にホームページを立ち上げて、昼休みに神保町の街をぐるぐるまわっていろんな本を買っていました。昔、文省堂書店に四冊で百円というコーナーがあって、みんな熱心に見てましたよね。あの時はまだ廃品回収の車が来ていて、文省堂さんの前に本を置いていくんですよ。で、その本を文省堂さんがその棚にガンガン入れていくと、またみんな集まっていって。まぁ四冊で百円ですから、業者もいっぱいくるわけですよ。レジの台にたくさん積んでも千円ぐらいで買えたりするので、それを仕入れにして、ネットで一冊千円で売るわけですよ。まだ当時はネットで本を売るなんて事は、ほぼ誰もやっていない時代でしたから、それをやったら結構売れまして、月二十万円ぐらい稼げたんですよ。「これはいいな」と思って独立の機会を探っていました。でもそれだけじゃ食えない。玉英堂で店番をしていた頃は、毎年春になると不要になった学生さんから学習参考書を買っていました。それに数百円の値段をつけて表に置いておくとぼちぼち売れてゆく、これに気付いたんです。「これって駿台予備校か代ゼミの近くでやったら商売になるんじゃないかな」って思いました。でも高い物件で家賃を五十万、百万払うのは無理だろう。で、かみさんに「代々木か駿河台のあたりで、家賃月十万円で済むところを探してきてくれ」って頼んだら七,五坪で九万円位の物件を代ゼミの近くで見つけてきてくれました。「よしこれだ!」って思って代々木の物件を借りて、玉英堂の店長に「すぐ辞めます」と、言いに行ったのが独立のきっかけだったんです。ですから、「最初から何かの専門を作って耳目を引けば儲かるんじゃないか」っていう発想がものすごくありました。うちの業界にはいろんな本屋さんがいますが、いろんな分野を扱ってそれぞれの売れ筋を上手に並べながら、売っていくというやり方のほうが、僕にはすごく理解出来るんです。

樽本 商売をするための専門分野、っていう感じですかね。

小野 そうですね。やっぱり「何を売るか」というアタマの作りにもよると思うんですが、僕はいろんなものを見られない。でも狭くしてココだけを見ているとわかる事って有ると思います。狭くしていった方が見えやすくて、そのほうが僕としてはすごく商売がやりやすいな、と思いますね。

樽本 中村さんはいろんな物を扱うお店で働いていましたけど、どうしてそこに至ったんですか。

中村 僕は店員時代に古書会館で行われている学術書専門の市場(東京資料会)の手伝いをさせてもらっていたんです。そこでいろんなジャンルの専門店の本屋さんの仕事に接する機会があったんですけど、その職人的なお仕事ぶりですとか、鬼のような買いっぷりですね、それを見て、私も当時は二十代前半の頃でしたから、単純に憧れたわけですね。それから数年たって具体的に独立・開業の準備を始めて、本を集めなきゃいけない、となった時、まだ二十代半ばでしたから、お金がないんですね。ですから、押し並べていろんなジャンルの本を集めるのは物理的に無理だったわけです、金銭的にね。だから数年前に憧れた、一つのジャンルに、限られた資本を一点集中するっていう、この方法はその時の僕にはすごく理にかなっているなと思って、あらためて何かの専門店になろうと決意したわけですね。
じゃあ、何をするか、と。二十五年くらい前の話なんですけど、今と比べても、あらゆるジャンルに強力な専門店がいらっしゃったんですよ。だから二十代半ばの若造なんかがどんなにがんばっても本なんか買えなかった。専門店になるためにはある程度のグロスで在庫を持たなければいけませんから、そのジャンルのものを買い続けられなきゃ意味がないんです。だけど、例えば映画や音楽とか民俗とか郷土とか僕にも好きなジャンルはありましたけど、ほんとに事故のようにたまたま買えることはあっても買い続けられないんですね、専門店のように、常連のように。

樽本 強い人は強いですからね。

中村 そう。だからそんな中で少しずつ試行錯誤している内に、少しずつ買えるようになって、在庫が集まり始めたのは戦前期の建築土木書と特殊な資料ですね、たまたまです。それらを「買い続けられる」と思ったんですね。

樽本 ライバルはいなかったんですか?

中村 ライバルはいたんですけど、なんですかね、専門がいなかったのかな。やっぱり「専門」って名乗った方が勝ちなんですよ、モチベーションの問題だから。そう言う試行錯誤をしているうちに、いつの間にか一冊目録が出るくらいの在庫が集まったので、96年に独立をして第一号の目録をすぐ出した、というのがきっかけです。

左から、ビブリオ・小野、港や書店・中村泰成堂書店・池田

業者のアドバイスは聞かない方がいい(笑)

樽本 池田さんは?

池田 僕はもともと大学を出て、三年サラリーマンをやって、人の下で働くのは向いていないと実感して(笑)。独立して社長になろうと思って。

樽本 デカイですね(笑)

池田 デカくはないですよ、一人でも社長ですから。上司がいないところで働きたいと思って、それで「何でもいいや」と思って会社を辞めようと思ったときに、大学の時に神田の秦川堂さんでバイトしていたので、その話を社長にしたら「うちに来い」って言われたんですけど、行ったら働かされるじゃないですか、社長の下で。変わんないなぁと思って、それは嫌だ、と。「独立出来ないと嫌です」って言ったら、「五年働けよ。五年したら絶対に独立させてやる。」って言われたので、「それって約束ですからね」っていう感じで。だからほんとに五年後に独立しました。

樽本 それは何歳くらいの時ですか。

池田 二十七、八才ですかね。もう居ても立ってもいられないって感じでしたね。とにかく独立するのが目的だったんで、秦川堂さんが専門書を扱っているところだったから、それはいま中村くんが言っていたように、市場でものすごくたくさん本を買う人だったし、それに憧れて、おもしろいなと思って独立したんですけど、あんまりそこで「何か専門を」というのは考えていなかったんです、当時は。そもそも、独立するときに色々な人が色々なアドバイスをしてくれるんだけども、大抵はいい加減で。業者のアドバイスって聞かない方がいいと思うんですよね。

樽本 みんなそう言う(笑)

池田 やっぱり(笑)。本当にダメなんですよ。だから僕も独立する時に「秦川堂さんと同じような、とにかくお店があったとしても専門書でやりたい」って言ったら「いやいや、まず郊外で一般書のお店を出せ」って色々な人に言われました。

樽本 その頃、無店舗でやるというのは?

池田 もう非常識、新人がね。まぁ、「ある程度経験を積んでからでいいだろう。でも絶対無理だ」って言われましたね。でも、まぁ自分ではなんとなく出来る、っていう漠然とした、何の根拠もない自信はありましたね。それで始めて、専門は何にも無くスタートしました、僕は。

樽本 その五年間で見つけようといった意識はなかったんですか?

池田 無かったですね。

樽本 独立しようと思っていたのに?

池田 うん、無かったです。三年くらいした時に「これヤバイかな、経営的に。多分ダメなんじゃないかと」と思いました。最初はお金を銀行から借りてスタートするじゃないですか。最初は何となくいいんですけど、三年くらい経つとお客さんにだんだん飽きられてきてヤバイかなって思った時に、「やっぱり専門を持たなきゃな」って思いました。中村くんが言っていたけれど、まさにモチベーションが。僕の場合秦川堂さんで色々な本を見ていて大体いくらくらいっていう知識はあるんですよ。でもそれを買うモチベーションがないんですよ、専門がないと。もちろんお金も限られているから、自分を奮い立たせて「これを買うんだ!」という気持ちがないとやっぱりいい物は買えないので、それで専門書ですね。それで、そこから医学にしたのは・・・なんの理由もない。

小野 なんか儲かるとか?

池田 ない。全然。まぁ強いて言うならアルバイト時代に秦川堂さんにおじいちゃんがいらっしゃって、医学書をやっていたんですよ。医学書の棚を見ていても、その棚だけはなんだか全然わからなくて、タイトルも読めなくて印象的だったんですよね。だから「それは多分みんなやらないだろうなぁ」って勝手に思って、医学書にしてやろうって思いましたね。まったくいい加減ですね。儲かるとか全く考えていない。

樽本 今の話を聞いていると、専門分野を持つ事って言うのは、そんなに知識が無くても出来る事なのかなぁって印象なんですけれど。

池田 いや、それはできます。

中村 でも好きなジャンルでも買い揃えられないと意味がないですからね。

樽本 知識は後からついてくるって感じですか?

中村 知識と買い揃えられるというのが兼ね備えられればそんな幸せなことはないんですけど、好きなジャンルがあったところで、市場で買えない。商品がないと、開業さえできない。

池田 うん、そうだね。まぁ強いて言うなら人がやらないところじゃないと、近代文学の専門店をやりますっていうと、ちょっと無理かなって。

中村 俺も本当は映画やりたかったのっ。映画の専門店をやりたかったけど!

一同 やればいいじゃない!

中村 映画の本高くて買えない!

一同 今ならやれるんじゃない?

目録なら在庫と机、当時ならワープロさえあれば
どんな場所でも開業出来るんです

小野 僕は、今は野球の専門店になったけど、野球をやろうなんて意識は全然なかったの。でもまぁネット時代なのでお客さんの耳目を引くために、分野を割と細かく分けたんですよ。紙の目録を作ってなかったから「何でもあります」だと漠然としすぎちゃって、ジャンルを明確にしておかないとお客さんの食いつきが悪いと思って。だから音楽でもジャズとかクラシック、乗り物なら車、バイク、飛行機、自転車、車とか、ネットの目録をきわめて細かく分けたんです。その中の一つに野球というのがあって、百冊くらい載っけただけなんですけど、それを見てくれたお客さんが「ここは野球を専門にやっているのね」って勝手に思ってくれたんですね。いろんなジャンルの中の一つだったのに。そしたらある人物のご遺族から「住んでいた家を壊すから引き取りに来てくれ」っていう話になったのね。その人は日本のプロ野球の立ち上げに関わった超大物で、野球殿堂にも入っている人で、その人の家を片付けに行ったんですよ。そしたら日本の野球史上珍しいものがザクザク出てきたんですよ。でも当時ぼくは野球の本屋ではなかったので、その価値がわからなかったんですよ。今だったら百万、二百万で売っているものを、三万とか五万とかで売っちゃって、今でも「あぁもったいない」って本当に後悔しているの。でも、そういうことをやって、そこから持ってきた物をカタログにしてネットに載せたところ、アメリカ人のお客さんが何人も来て、注文もいっぱい来たんですよ。そのうち向こうで「なんかあそこの店は野球、いやアメリカ人だからベースボールがすごい」って評判になったんですよね。そしたら、日系二世の方で取り次いでくれるような人が現れて。そういう状況で野球のものをボンとぶち込むとほぼ完売なんですよ。大体百点くらい溜まるとデータに打ち込んでメールで流すと、当時七、八割売れました。当時は野球を扱っている業者がまだいなくて、同業者にもさんざん「何それ?」って馬鹿にされましたけど。結局、最初にたまたまいい物がはいったことがきっかけになって、自分で意図したわけではなくて、流れに乗ってしまったというのが、僕が専門店になった理由ですね。だから必ずしも意図して必ずそうなるとはかぎらない、そういう出来方も一つあるかな。

樽本 目録販売っていう話がありましたけど、専門書をどうやって売っていくんですか。なぜ目録になったんですか。

中村 またお金の話になって恐縮なんですけど、お金がないわけですよ、とにかく。お店をやるとなるとやっぱりそれなりの場所を借りなければいけないでしょ。そうすると保証金も家賃も払わなきゃいけない。そんなお金どこをたたいてもないわけですよ。目録なら在庫と机、当時ならワープロさえあればどんな場所でも開業出来るんです。それが具体的な理由ですけど、一番大きな理由は、接客したくなかったんですよ、もう。店員時代に「自分は接客には向いていない」っていうのを思い知ったんで。だから独立開業して第一日目の喜びの六割くらいは「あぁ店番しなくていいんだ!」っていう喜びでしたね。

池田 元々は僕らがやるもっと前から諸先輩方が目録を出していて。

中村 そうですね、大体専門店の皆さんは目録を出してらっしゃいましたからね。

中村 だから、専門店をやる人は目録を出すものなんだろうな、って思っていました。

樽本 目録はどうやって作っているんですか?

池田 古書ネットっていう、誠心堂書店の橋口さんが作ったソフトがあるんですよ、古書在庫管理ソフトっていうのが。それがもうねぇ、我々の全てです。

中村 目録制作からその事後作業まで、そのソフトだけで出来るんです。

池田 あれが来た日からね、もうあれがないと生きていけない。

中村 最近はないけど、ごくたまに壊れたよね?

池田 ね。でもあれが壊れると、もう何にも出来ない!

中村 そう!何にも出来ない!

樽本 今もそれはあるんですか?

中村 今は販売止めちゃってるんです。

池田 それだと入力もして売り掛けもつくし、自分の事務作業全部も出来るし、売れると自然に在庫がゼロになるし。まぁ、とにかく良くできたソフトなんですよ。目録のページも全部すぐ出来るし。

中村 そのソフトで日々入力した在庫データを、ある条件の下に並べ替えて目録印刷出来るっていう。一番いい。

池田 それがあれば、まぁ「誰でも出来ますよ」っていう感じじゃないですか?

樽本 その完成した目録はどうするんですか?

中村 それが問題ですよね。最初の。

池田 最初は苦戦する。

中村 今はいいのかわからないけど、僕らの頃は大学の職員録が普通の本屋さんで売っていたんですよね。今もあります?ないのかな。公立大学編、国立大学編、私立大学編とかね。

池田 市場にたまに出るんだよ、資料会に出て、僕、一生懸命買ってましたよ。

中村 今もいいのかな?たまに出てるよね。販売していたから。

池田 普通に販売している名簿なんですよ。

中村 だから僕の場合建築学科に載っている先生方のところに片っ端から送りました。

目録を作るモチベーション自体が
二十年前とは大きく様変わりしてしまった

樽本 ネット通販もされてますよね?

池田 僕の場合は「日本の古本屋」とホームページをやっています。

小野 中村さんはどうですか。

中村 年三回目録を出していて、その売れ残りはすべて「日本の古本屋」に出しているんですけど、売上げの比率は比較にならないくらい目録の方が大きいですね。

池田 それ大きいね。売れなくなったらやらないでしょ?売れるから目録出すんでしょ?

中村 そうそう、売れるんですよ。本当はインターネットの隆盛によって目録は売れなくなる、みたいな危機感を持つべきなんだろうけど、実際に商売しているとあんまり感じないですね。

樽本 僕と同じ位の世代の古本屋も目録をやっている人達もいるし、力を入れている人たちもいる。僕の印象ではこれから先インターネットの販売は先行き不安というか、本当に効率のいいところしか残って行かなくなるだろうし、値段でしかお客様に差別化できないと思っています。やっぱり専門分野を持って目録販売されているのはすごく強くて、これから先ネットに載っていない物、買えない物っていうのに価値が出てくるんじゃないかなぁと思っています。
ところで、目録を出すことで買い取りは増えますか?

池田 全然増えない。

中村 僕もないですね。

樽本 それでは仕入れはどうされてるんですか?

池田・中村 全部市場ですねぇ。

樽本 まだ市場に出ていますか?

中村 まだ出ていますね。しんどいよね。しんどいけど、全く出ていない訳じゃない。

池田 僕たまにお客さんの家に買いに行くこともあるんですけど、損するんですよ。いや、本当に。お客さんの所に行って高く買っちゃうんで、まったく向いていないと思う。

中村 目録のお客さんだと、こちらの付け値を知っていらっしゃるから。やっぱりそのあとの付け値もあるし、誠実な、ね。

池田 でも市場は入札っていくつか金額を書けるので一番下の時もあるし、一番上の時もあるし。よくね「一番下札よりその半分の値段で買え」って言われたんですよ、お客さんの所に行ったら。市場に出しても絶対儲かるように。ただ頭が、買い取りが少ないのでわかんなくなっちゃって、普通に入札している気で買っちゃうんですよ。そうすると思った以上に高く買って後悔するような感じがするのであんまりダメですね。

樽本 それはやっぱり無店舗の影響?やっぱりお客さんからの買い取りというのはあまり多くない?

池田 多くないですね。

小野 やっぱり買い取りは店があったほうが、店自体が一つの看板みたいになってる。

中村 あと専門があると、えらいワガママになっちゃうよね。これ欲しいけど、これはいらないって、お客さんの所に行ってそんなことで言っちゃって喧嘩になっちゃったりなんかして。

小野 全部持って行ってくれよ!ってね。

樽本 値段の付け方ってどうされているんですか?すごく特殊だと思うんですけど。例えば小野さんのサインものなんて。

小野 値段は僕がつけている訳じゃなくてお客さんがつけているんです。だってお客さんが、こういうのだったらいくらで買うって。野球が好きな人いっぱいくるじゃないですか。「こんなのありませんか?あったら十万でも買うんだけどなぁ」。そういう風に言って帰るお客さんがいるんですよ。だからって十万で買ってくれる訳じゃないんだけど。まぁ、あの人十万って言っていたから二万くらいつけとけば売れるかな?っていう、さじ加減はするんですが、割とお客さんとのコミュニケーションで値段をつけますね。「これは売れる」と思ったら全然売れなくって、そうすると値段を下げていくしかないじゃないですか。逆に「こんなもん」って思っていたものがバンバン出ちゃって「何これ?千円つけてたけど、一万円でもよかったんじゃない?」なんてことも出てくる。長い間お客さんと顔付け合わせてると、だんだん出てくることだから、だから僕は自分で値段を付けてるって意識は全然ないです。

樽本 お二人はどうですか?

池田 自分で付けてますねぇ。

中村 自分の売り買いの経験で自分のお店の価格体系を作っていく。

樽本 自分の価格体系を作るって大事ですね。

池田 価格体系っていうか、要は買って、それでつけますよね、とりあえず適当に、今スタートするとすれば。皆さんも本屋さんになったら、これいくらって付けますよね。それで売れる、売れないがあるじゃないですか、売れたのは成功ですよね。で、売れなかったのは失敗ですよね。ほんとに毎日それの繰り返しで値段を考えてますね。だから「日本の古本屋」でデータのあるものは、それはもちろんそれを見てだいたいこんなものだよね、っていうのはあるでしょうけど、無いものは付けて売れないと失敗ですから。例えば同じようなものがまた買えればこれは売れなかったという経験値、これは売れたという経験値、もっとつけても売れたっていう経験値、それの繰り返しのような気がしますね。だから市場でたくさん買えばその経験値は上がるかな。

樽本 いくらまで付けていいのかっていうのは迷わないですか。

小野 別に上限値は決まってないよね。つけようと思ったら一億円つけてもいいんじゃないですか。

中村 だからいいもの、高いものに値段をつける勇気っていりますよね。昔は思い切っても五十万円しかつけられなかったものが、ちょっとひどい飛び方ですけど、今だったら百万つけられる。昔は百万なんて商品に値段をつける勇気なんかなかったもんね、どんなにいいものでも。

樽本 今は?

中村 まぁ(笑)いまは経験でその勇気が少しづつ出てきたってことでしょうね。

樽本 目録で特集を組むって事はありますか?

中村 はい何回かやったことはあります

樽本 それは、初めに特集するテーマを決めておいて、それから本を集めるんですか?それとも本を集めている内に?

中村 例えば練馬区の石神井書林さん、小金井のえびな書店さんだとか、それから大田区の月の輪書林さんだとか、先行するすばらしい特集目録がたくさんあって、僕らそれに憧れたわけなんです。あの頃は、特集目録っていうのは本を売るための効果的な手段だったんですよね。例えばね、神田を一日まわれば見つかるような本も、地下の展覧会に行けばあるような本でも、それをその特集の中で、その文脈の中に置くことで新たな側面がみえてお客さんが新しい発見をして、そしてその本を買ってくれる。すごく本を効果的に売る手段だったんですよ。
あの頃はインターネットがなかったから。だけども、今この時代に同じようなことをするとね、その発見をしてくれたお客さんが一番最初にすることは検索することだよね。だからお客さんの発見が購買に結びつかないんですよ、今は。だから特集を作る動機自体がなかなか昔と同じようにはいかなくて難しい。昔は特集のために本を集めたら売れたんですよ。ものすごい伝説があるじゃない?特集目録が売れ過ぎて、お店から逃げてしまった店主さんとかね。もう注文が殺到して「もう嫌だ!」って。でも今はそんなことあり得ないよねぇ。

池田 僕は全然違って特集には興味ないです。全然憧れてないです。僕は普通に買った物を載せるだけです。まったく興味ないです。僕は一点ずつ、自分なりに「良い物」と思われるものを見ていて、お客さんもそう思っていると思う、どこかで。本屋が一つのストーリーを作っても、多分お客さんはそこから抜いていくわけですよ、お客さんにもストーリーがあるから。だから僕はお客さんの選ぶもので充分だと思っているので、自分でそんな物を作ろうって気は全くないので、今言った中村さんの思いというのは、あまり。

中村 僕も今ね、インターネット時代になってから目録の特集をやりましたけど、今作るとしたらね、何か一口物を仕入れたときに、今ある在庫を売る手段として特集を作ると効果的。

池田 うん、それはあると思います。

中村 昔はね、その特集のためにわざわざ本を集めていたわけですよ。

池田 うんうん、そうそう。

中村 それが効果的だったんですよ。数年前に「博覧会と議事堂」っていう特集をやったんだけど、それは戦前の博覧会史料を市場で買ったのと、それとは別に明治23年に二ヶ月間だけ存在した日本で一番最初の国会議事堂、火事で焼けちゃったんだけどその刷り物、石版画とか木版画とか市場で一口買えたので、その二つをうまく編集してさ、なんか近代史の一側面みたいなのを描けたらいいかなと思ってやったわけですけど。だからといって、その一口物以外に新しく本を買うと言うことは極力しないで、その時に入ってきた一口物二つだけで編集したので。だから先行する諸先輩方の一万点位載っているような目録は作れないから、千五百点くらいの小さな特集になっちゃった。

樽本 目録でいくら売るという目標はあるんですか?

池田 目録でいくら売れるかという目標がないわけではないけど、結構雑ですね。大体忘れちゃいますよね。売ることをあんまり考えていなくて、買うことの方を意識しちゃいますね、あくまで僕の場合ですけど。買える金があるのか、今。あればいいや、それがないとヤバイぞ。そんな感じでやってますけど。もちろん公費なんかだと、お金が入るのが何ヶ月も先だったりするので、次の目録が出た頃に入ってきたりする場合もあるので、それがまわってればいいやって感じでやってますね。
もう通帳とにらめっこです。入らないな、まだ入らないな、入らないなぁって。

今後よっぽど新しいことをしないと、
今の時代難しい

ここでご来場いただいた方からの質問

質問 三ヶ月から四ヶ月で目録を出すと言うことは、当然その間は相当在庫があるわけですよね。保管にはどのくらいの広さが必要なんですか。

中村 僕はマンションで二部屋借りていまして、あわせて三十坪弱ですね。

池田 うちは二十五坪です。

質問 目録を出したらばーっと注文が入って在庫もばーっとはけて、そして、また売れるものをちょくちょく集めていって、という感じですか。

池田 そうあって欲しいよね(笑)

中村 そんな目に見えるようには減らないんですよ、ね?

池田 総じて大きい物は売れないです、大きい物ほどダメ。豪華本みたいな、重くてデカイのはダメ。だから、売れるんだけどペラッペラ、というのが多くて。それは店でもあんまり変わらないですね。

中村 今は珍しい物しか売れないよね。いわゆる「イイ物・珍しい物」。お客さんの前でこんな話していいのかわからないけど、「イイ物・珍しい物」って苛烈な業者の争いの中で買っているので粗利が薄い。そういうものしか売れなくなったってことは、要するに収入が減ってるってことだよね。
昔はそうじゃない物も売れていたからなんとかやってこれたんだけれど、利益が薄くて、しかも数が少ないものしか売れなくなっているっていう。僕は「目録販売」という方法自体に危機感があるというより、古書販売自体に、ちょっと一抹の危機感を感じてますね。「イイ物が売れるんだからいいじゃないか」っておっしゃるかもしれませんが、それは利益が薄いのでそれだけ売れても正直、あまり商売にならないですよね。

池田 ぼく競争しなくても何でもやるから、競争しなくても売れる物を探しています、毎日。だいたい競争するものって売れなくない?

中村 概ねそんな感じではない?簡単に言うと「日本の古本屋」で出てきちゃう物って昔は目録で売れてたでしょ、でも今は売れないじゃない?

池田 それはそうね。

中村 はっきりいって経営の収入、売上げはともかく利益部分の根幹はそっちにあったんですよね。それが売れてくれたから商売を大きく出来たし、看板のつもりで利益が薄くてもいい物が買えた、と。粗利のある部分が売れなくなってきたのは、それはちょっとしんどいかなって、ほんとつくづく思います。

樽本 もしこれから入ってくる人達へ、同じような業態でやりたい、っていう人達の為に何かアドバイスってあります?

池田 だから、業者のアドバイスはダメなんじゃない?(笑)多分。

中村 そうだよね。僕らオールドスタイルだからもっと違う新しいやり方でね。

小野 僕は「これからネットの時代が来るから売れる」って、モチベーションがすごく高かったの。でも、今、僕がこの状況のなかで古本屋をやりたいかというと、やらないもの。ブックオフのせどりさえダメになったら「一体何をやればいいのっ?」って。仮に今、古書組合に入ったとして、専門分野といっても、このような大先輩方がいらして、もうガチガチにかたまってる。二十数年前と違って、今は成功するイメージが全然描けないもの、正直なことを言うと。当時はすごく儲かると思っていたけど、こんなにみんながネットに来るとまでは思っていなかったから、取り分はどんどん減っていって、挙げ句の果てに自分の生活までどんどん苦しくなる状況で。今後よっぽど新しいことをしないと、今の時代難しいんじゃないかなって思いますね。

質問 今この時代にネットではなくて、あえて紙の目録を出し続けている、ということは何かしらのメリットがあるのでしょうか?「目録が売れるので出し続けている」ということでしたが、長く業界にいらしてネット隆盛のなかで、目録も紙からネットへ主軸を移そうとは考えられませんでしたか?

中村 僕は人手があればホームページくらい持ってもいいかなって思いますけど、一人でやっていると目録を年三回作るので手一杯なので、目録がどうしようもなくなったら考えますが、今のところ幸いなことに余り変わりなく売れているので。

質問 ネットの販売より目録販売の方がより良い点というのを改めてお話いただけますか。

池田 「特定のお客さんとの付き合いがずっと続く」というところですかね。その方の買っているものがわかるし、それを仕入れることも出来るけど、ネットだとそういう関係性が作れない。作れるのかもしれないけれど作りづらい。「ネットが悪い」と言うわけではなくて、時間と手間とか色々なことに余裕があれば考えられると思います。
日々買って、目の前にある本を片付けるということに追われていて、色んな事を手広くやれるだけのゆとりはないんですね。目録がダメになったら考えますけど。

中村 別に信条があるわけではないよね。別に「目録主義」みたいなものを掲げているわけではないんですよね。ただ、余裕がないだけで。

樽本 でも楽しいんですよね?

中村 楽しいです。僕はこんなに楽しい職業に巡り会えてほんとに幸せだなって思います。

池田 あー僕はそこまで思えないな。(笑)

中村 いやいや、ほんとは生業のはずなんですけどね。要するに生活の為だし、家賃と借金を払うために働いてきているので。そう言う意味では「古本」ってただの商材なんですけど、ほんとにこれが面白いので、本当に幸せな事だなって思います。

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